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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2017年04月09日

静かな顧客変化を察知する 

ヒット商品応援団日記No674(毎週更新) 2017.4.9.

前回のブログ「文化のあかり」では、暗いイメージのデフレ時代にも「文化」があり、そのあかりの下で生活があることを指摘をした。そうしたデフレ時代の生活であるが、消費というお金の使い方は更に「日常」へと向かっている。ハレとケという言い方をするとすれば「ケ」となるが、それはほどほどの豊かさということになる。その「ほどほど」もまたどんどん進化してきている。
確か4年ほど前のヒット商品の一つとして高額炊飯器があった。これも毎日食べるご飯だからということで売れたのだが、一昨年には無水鍋がヒット商品になった。そして、同じように昨年注目された商品の一つに高級食パンがあった。一斤1000円近くする食パンであるが、これも毎日食べるものという理由からである。メディアは「プチ贅沢」という表現を取っているが、全てデフレ時代の消費のありよう、特徴を示している。
こうしたヒット商品を少し理屈っぽく表現すると以下のように整理することができる。

・日常利用、継続利用=毎日
・手が届く価格、1回あたりは安価=合理的価格
・例えば「食」=美味しさという小さな幸福感

少し抽象的な表現で分かりずらいが、こうした顧客変化を察知することは難しい。実は1990年代後半から続くデフレ時代にあって、最もデフレ経済が消費に現れたのは周知のリーマンショック後である。収入が増えない時代にあって「格差」や「低価格帯」というキーワードが盛んに使われてきたが、リーマンショックの翌年2009年の日経MJのヒット商品番付は以下であった。

東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、    西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、   西小結 ツィッター

「規格外野菜」はいわゆる「わけあり」というキーワードで生活の隅々に浸透した。当時、私はブログで”「価格」の津波は、あらゆる商品、流通業態、消費の在り方を根底から変える”と書いた。ファミレスにおいては客単価1000円の「すかいら~く」業態は客単価750円の「ガスト」業態に再編した。前頭に入ったファストファッションの「フォーエバー21」のように上から下までコーディネートして1万円以下の業態に人気が集まり、弁当は300円台が一般化した。JALの地方空港撤退に伴って、その隙き間を埋めるように本格的なLCC(ローコストキャリア)が生まれた。つまり、消費生活を起点とした再編集が劇的に行われた時代であった。

実はこうした時代をくぐり抜けてきたのが「今」ある消費者である。どの企業も「低価格」という壁を超える努力をしてきた。周知のように、日本マクドナルドのように100円バーガーの扱いに見られたように迷走を重ねた企業もあれば、牛丼大手三社の値上げの失敗もあり、そしてユニクロの値上げの失敗もあった。つまり消費者の生活編集のやり方が変わってきたことへの深い分析がなされてこなかったということである。それはリーマンショック後のように「劇的」な変化ではなく、ここ数年静かに変化してきたことによる。昨年あたりから「わけあり」というキーワードは使われなくなった。「激安」も同様であるが、「お得」が無くなった訳ではない。激安居酒屋が衰退していく一方、駅前中華の日高屋ではサラリーマンの「ちょい飲み」が増えた。あるいは未来塾大阪のレポートにも書いたが、大阪駅「ルクアイーレ」の地下にある「ワインバー紅白(コウハク)」のように行列が絶えない店もある。いわゆる若者向けの屋台風のバル業態であるが、メニューの特徴もあるがとにかく安い店である。(関西のみ出店)ある意味静かな変化が進行しているということである。

それではどこへ向かうのであろうか。この1年程TV番組「マツコの知らない世界」などを参考として使ったり、未来塾の「テーマから学ぶ」で、取り上げてきたのは「街場」の人気店についてであった。TV東京の「孤独のグルメ」ではないが、パン屋であったり、ビジネス街の立ち食いそばであったり、決して全国区ではない店ばかりである。つまり、慣れ親しんだ地域にもかかわらず、実は足元にある知らない日常がいかに多いか、そんな日常へと興味関心は向かっている、ということになる。過剰情報の時代とは「未知」の時代でもあったということに気づかされたということである。
こうした傾向は旅行であれば海外から国内へ、まだ行ったことのない地域へ。シニアであれば「軽キャンピングカー」で出かけたり、漁港で開かれる朝市や桜前線を追いかけたり。あるいは修学旅行の追体験に向かったり。行動半径を小さくすれば、知っているつもりの住んでいる街へと向かい、そんな「町歩き」になる。

つまり、知っているようで知らなかった世界の発見ということになる。情報の時代とは、グローバル世界のことでもあり、そこには壁がなく、いつでも何処へでも自在に出かけることも可能である、そう錯覚してしまったことによる落とし穴ということである。前回のブログにも書いたが、グローバル化、あるいは再開発といった合理化の下で埋もれてしまった「文化」、日本文化は言うに及ばず個々の地域に埋もれた文化に驚かされる時代だ。そんな驚きを持って「未知」へと向かうその原動力、背景は何かと言えば、興味・好奇心ということになる。私の言葉で言うと、「テーマ」を持つということになる。その興味関心を喚起するテーマであるが、「個客」という言葉が表しているように、一人一人異なる。そうした多様なテーマをどう組み合わせ編集するかがこの時代のキーワードとなっている。

今、停滞する商業施設の中にあって、ある意味順調な業績を上げているショッピングセンターの殆どが、多様な「個客」のテーマ&価格帯の編集がうまくできたところとなっている。それは大きなSCのみならず、専門店のMD編集でも飲食店におけるメニュー編集においても同様である。千手観音ではないが、千手まで位かなくても多様な個客要望に応えることが必要となっている。つまり大きなヒット商品ではなく、小さなヒット商品を見出し重ねていくことでもある。そして、そうした編集結果としての「全体」を見ていく視座が必要な時代にいるということだ。静かな顧客変化を察知するには、編集力が問われており、その差が直接業績に反映される時代になっている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:38Comments(0)新市場創造