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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2016年03月30日

未来塾(21)テーマから学ぶ 変化する観光地 葛飾柴又  (前半) 

ヒット商品応援団日記No640(毎週更新) 2016.3.30.

未来塾で取り上げてきた街や商店街、あるいはテーマについて学んできたが、街や消費を活性させる競争軸のキーワードとして「観光地化」を指摘してきた。今回の学びのテーマであるが、あのフーテンの寅さんこと渥美清は1996年に亡くなり既に20年になる。周知のように映画「男はつらいよ」の舞台となった葛飾柴又は、駅から帝釈天へと続く小さな門前町である。天空の城「竹田城跡」のように続々と生まれる新しい、面白い、珍しい観光地化競争が激しくなった現在において、葛飾柴又を中心にいくつかの記念館を中心に置いた観光地の変化をスタディした。




「テーマから学ぶ」

変化する観光地 葛飾柴又
観光地化競争の「今」


この未来塾で取り上げてきた街や商店街、あるいはテーマについて学んできたが、街や消費を活性させる競争軸のキーワードとして「観光地化」を指摘してきた。その意味するところは、従来の景観や歴史文化施設といった狭い意味での観光地化ではなく、新しく造られた「都市商業施設」や都市文化の「発祥地・生誕地」それ自体も観光地となり、聖地となって、これも観光地の一つになった。例えば、1990年代後半渋谷109は東京ディズニーランドと共に地方の中学生の修学旅行先の訪問地となり、あるいはブームは去ったが今なお東京スカイツリーは観光客を集めている。最近ではアニメが生まれた場所への聖地巡礼がオタクの間で流行っており、行政もそうした巡礼観光旅行をサポートする動きすらある。「観光地化」は、ある意味商業活性における時代のキーワードとなっている。そして、当の観光地は、今や観光客のニーズに合わせて編集され構成されており、その土地の日常生活と隔離されつくられていることが多い。「名物料理」も、実は観光客向けのもので、後述するが単なる観光客向けのインスタントな土産商品では長続きはしない。そうした新たな観光地化による商業施設や商店街、エリアの活性化といった課題の事例については拙著「未来の消滅都市論」をご一読いただきたい。

さて今回の学びの具体的テーマであるが、あのフーテンの寅さんこと渥美清は1996年に亡くなり既に20年になる。周知のように映画「男はつらいよ」の舞台となった葛飾柴又は、駅から帝釈天へと続く小さな門前町である。およそ200メートルの参道は映画のロケも行われた場所で、50軒の老舗の商店が軒を連ねている。映画のロケ地に多くの観光客を集め、柴又という町が全国に知られ活性化された良き成功事例である。そうした観光地である寅さんのふるさと柴又には寅さん記念館も造られている。そんな観光地が、没後20年の「今」どんな状況となっているのか。
ところで兵庫県朝来市に日本のマチュピチュと言われ、突如として一大観光地となった天空の城「竹田城跡」という事例もある。その城跡観光であるが、2014年には過去最高の約58万2千人の観光客が登ったが、2015年にはブームは去り観光客は激減したと言われている。特に、安い団体日帰りバスツアー客の減少が大きく、高い駐車場料金という影響もあっての減少と言われている。
さて続々と生まれる新しい、面白い、珍しい観光地化競争が激しくなった現在において、葛飾柴又を中心にいくつかの記念館を中心に置いた観光地の変化をスタディした。

映画「男はつらいよ」

ところでその柴又が舞台となった映画「男はつらいよ」の観客動員であるが、松竹によれば全48作の総動員数は79,581,000人で、一番動員数の多かったのが1973.12.16の『男はつらいよ・私の寅さん(12作目)』の2,419,000人とのこと。寅さんファンの方は、タイトルとマドンナの名前だけで、映像が浮かび上がってくると思うが、1972年の10作目「夢枕」で初めて動員数200万人を超え、以降200万人前後で推移していく。
周知のように、車寅次郎が故郷の葛飾柴又にふらっと戻ってきては何かと大騒動を起こす。そして毎回異なるマドンナと恋に落ちて失恋するという変わらないストーリーの人情喜劇シリーズである。私はこの映画の魅力を語るほどのオタクではないが、これだけの動員をシリーズとした日本映画は極めて少ない。ちなみに日本映画における動員数No1は、宮﨑 駿監督による「千と千尋の神隠し」の2350万人である。
舞台となった柴又の駅を降りて、参道を通り帝釈天へと向かう門前町だが、浅草寺のように雷門から仲見世の参道と比較し、かなり小さな商店の町並みである。映画「男はつらいよ」の残像が今なお残っているせいか、古い町並みのセットを歩いている感がする。
特に、ゲートとなる京成柴又駅の駅舎は昭和の匂いのする雰囲気溢れる駅舎てある。駅前の寅さん像が無ければ、故郷に帰ってきた車寅次郎になった気分になる。山田洋次監督をして「日本人の心の故郷」と言わしめた風景の一つである。

映画の衰退と復興

ところで誰もが実感していることだが、戦後の物不足の生活にあって唯一の娯楽、楽しみは映画であった。「街から学ぶ 浅草編」でも書いたことだが、浅草は娯楽のテーマパークであった。今はホテルに生まれ変わったが国際劇場や演芸場、そして映画館が多数あって、休日は大いに賑わった場所である。しかし、経済的な豊かさと共に娯楽も多様化し、またライブ以外でも楽しめるTVメディアの発達と浸透があり、次第に映画も右肩下がりとなる。次の図はそうした相関図であるが、映画「男はつらいよ」はこうした衰退期の中の大ヒット作品であった。(「社会実像データ図録」より)



ところで入場者数の減少傾向に歯止めをかけ、若干の回復軌道へと向かわせたのは小規模映画の制作とシネコンの普及、そしてコンテンツという視点に立てば、何と言ってもアニメ映画であった。1970年代の『宇宙戦艦ヤマト』をスタートに、1980年代の『機動戦士ガンダム』に続き、爆発的なアニメブームのきっかけとなったのが周知の『新世紀エヴァンゲリオン』であった。この『新世紀エヴァンゲリオン』は1995年10月4日から1996年3月27日にかけて全26話がテレビ東京系列で放送されたのだが、ちょうど渥美清が亡くなり、映画「男はつらいよ」が終了した時期でもある。

柴又帝釈天、2つの顔

映画「男はつらいよ」の舞台となった帝釈天は経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、寛永年間(1629)に開基された古いお寺さんである。18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになる。帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになった。
そして、映画『男はつらいよ』の撮影現場となることから、制作中は観光バスの団体客が大勢訪れる。しかし、駅から参道を抜け、帝釈天を結ぶ動線以外はどこもかしこも田と畑であったという。そして、都市化の波は当然柴又にも及び、東京という都市の中の「田舎」と言ったら怒られそうであるが、都心から電車で40分ほどの距離に江戸川と中川に挟まれた水と緑の地域、そんな田舎も次第に変わっていく。
葛飾柴又は、ある意味環境もよく好立地ということから、北側にある金町を中心に、マンション開発が盛んに進んでいる。
そして、当然といえばそうであるが、同シリーズの終了に伴い、観光客が年々減少し今日に至っているという。そこに観光地としての葛飾柴又の課題、「次」は何かが見えてくる。

ところで帝釈天の参詣を促す庚申信仰は中国大陸の三尸説(道教の民間信仰)が平安時代に日本 に渡来し、中世、近世を経て国内で独自に発展した民間宗教である。近世以降になると、江戸の町民、 または近郊の農村において庚申信仰は流行し、仏教や神道と結びつき様々な 形態へと展開していく。
柴又は江戸時代 中期より庚申信仰の中心地として広く知られた地であった。その信仰の形成と発展に は、江戸時代中期から日蓮宗が庚申信仰を巧みに取り入れていった状況が影 響している。「柴又帝釈天の庚申信仰」綿谷 翔太氏より抜粋引用

庚申信仰とは異なるが、どうしてもおばあちゃんの原宿、巣鴨の「とげぬき地蔵尊」と比較してしまう。「未来の消滅都市論」では「おばあちゃんの聖地」に触れて次のように書いた。
『聖地には心ふるわせる「大いなるもの」の存在があり、その聖地を訪れ巡礼することでこころは安らぎ、癒され、何かを得て元気を取り戻すのだが、そんな巡礼の風習、いや生活の知恵を古来から日本人は持っていた。』
そして、とげぬき地蔵尊が年間800万人ものおばあちゃんが参詣する聖地となった最大の理由を次のようにも書いた。

『そうした信仰を広く厚くしたのが、高岩寺にある「洗い観音」の存在である。その「洗い観音」であるが、江戸時代最大の火事であった「明暦の大火」(1657年)で、檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その供養のため、「聖観世音菩薩」を高岩寺に寄進した。
 この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしか生まれる。これが「洗い観音」の起源と言われている。とげや針ばかりか、老いると必ず出てくる体の痛みや具合の悪いところを治してくれる、そんな我が身を観音様に見立てて洗うことによって、観音様が痛みをとってくれる。そんな健康成就を願う、まさにおばあちゃんにとって身近で必要な神事・パワースポットとしてある。写真のように観音様を洗うために多くの人が列をなしている。おばあちゃんの聖地の起源は「老い」という身近で日常の中にある不安を取り除いてくれるこころのお医者さんかもしれない。』
この「洗い観音」は「洗う」という分かりやすく実感できることから、TV報道は「とげぬき地蔵」を代表するものとして「洗い観音」を取り上げ、次第に「巣鴨とげぬき地蔵」=「洗い観音」のようなイメージが全国において定着し、おばあちゃんの聖地と呼ばれるようになっていく。

ところで明治時代以降の庚申信仰はどうかというと、当時の政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれた庚申塔を中心にその撤去を進めたこともあって、大正時代にはその信仰の勢いは陰りを見せる。一方、同じ民間信仰である地蔵信仰は「日本昔話」に出てくるように「笠地蔵」を始め多様なお地蔵さんとして今なお全国にわたって多くの道端に残っている。最近では「御朱印ガール」と共に「地蔵ガール」も出てきており、おばあちゃんのみならず、若い女性のパワースポットにもなっている。
私は土俗宗教、民間信仰の研究者ではないが、庚申信仰には人から人へと伝わりやすい実感を持った「わかりやすさ」、つまり「洗い観音」のような広がりやすい「時代性」が希薄であるように感じる。
ちなみに、葛飾区はインターネットを使った観光入込調査を行っている。平成25年度の推計値としては約 171 万 6 千人となっている。そして、その「まとめ」として、「観光客の総数は減少傾向にあり」、しかも「観光客 1 人あたりの消費額は減少傾向にある」としている。観光地として衰退にあるということである。

帝釈天への参道商店街




葛飾柴又は庚申信仰の中心であったことから、参道の商店の多くは参詣客向けの飲食を中心とした店が50店ほど並ぶ。勿論、商店街の規模も違うのだが、巣鴨の地蔵通り商店街のように、参詣客・おばあちゃんへの「元気土産」としての赤パンツや八つ目ウナギのような独自な商店はない。さらに巣鴨にはおばあちゃ向けのカラオケ喫茶や、最近ではネイルサロンもあるが、柴又帝釈天には勿論無い。
柴又の参道には名物の草団子を始め、天丼やそば、あるいは川魚料理のうなぎといった業種構成となっている。一言で言えば、巣鴨地蔵通りは「おばあちゃん」という個人の参詣客を明確にしており、柴又帝釈天はある意味一般的な店が多くなっている。柴又帝釈天の代表的なものとして「草団子」があるが、一方巣鴨地蔵通りには常に行列ができる「元祖塩大福」がある。前者は主に「男はつらいよ」の「とらや」を通じて認知されたものだが、後者はおばあちゃんたち代々の口コミによる「定番土産」となっている。実はこの違いは大きい。
しかし、参道にある飲食店のほとんどの店で草団子が提供されている。そして、いわゆる食べ歩き用にと一本から売られており、変わり団子も多く、お団子のテーマパークのようである。

柴又帝釈天と寅さん記念館

参道の先、正面に帝釈天題経寺がある。日蓮宗のお寺さんであるが、笠智衆演じる御前様のお寺さんといった方がわかりやすい。実際に訪れるとわかるが、江戸時代の庚申信仰の中心であったことをうかがわせる大きな寺である。
この題経寺の境内の右手奥の土手沿いに「寅さん記念館」がある。館内には、映画で実際に使用された「くるまや」のセットが撮影所から移設され、実物資料や写真のようなジオラマ模型、懐かしの映像集などで、『男はつらいよ』の世界に浸れるように作られている。いわゆる昭和レトロの世界であるが、寅さんのイメージが強すぎて、その広がりはない。結果、館内の観光客のほとんどがシニア世代で、私が訪れた時には若い世代は一人もいなかった。後述する記念館事例と比較すると、単なる映画「男はつらいよ」の「記念」にとどまっており、よほどの寅さんオタクでない限りリピーターはいないと感じた。

また、記念館の左隣りには大正ロマンを感じさせる「山本亭」及びその日本庭園があるが、耐震工事中とのことで、柴又を回遊散策するという楽しみがなくなっている。
そして、記念館の屋上に上がると公園になっており、後ろには映画「男はつらいよ」で度々出てくる江戸川がある。今では広大な河川敷は公園となって、懐かしい「矢切の渡し」も残されている。こうした一帯を葛飾区は「柴又公園」とし、一つの観光回遊公園としている。しかし、後ほど触れるが、「何」をコンセプトとしたテーマパークなのか、特にリピーターを集めるテーマパークとしては今ひとつ魅力としての強さを感じない。

東京観光の変化と「はとバス」の再建

戦後の都市、特に東京の変化はすさまじいものとなっている。そうした都市そのものの変化を取り上げるには大きなテーマとなるので、ここでは東京観光の変化を中心に1990年代から今日に至るまでの主要な変化を見ていくこととする。
既に記憶には無くなっていると思うが、1948年創業の”あの東京名所観光”の「はとバス」は1997年には債務超過で倒産寸前であった。東京都が4割近い株をもつ企業であるが、どの企業もそうであるようにバブル崩壊以降、その業績を落としてきたことによる。
ところで5年後の2002年度には経常利益3.8億までに再建する。その中心人物は東京都交通局から社長として送り込まれた宮端氏によるものであった。はとバスが急速に経営を悪化させてきた背景は次のように整理できる。一言で言うならば「市場変化」に遅れた経営であったと言える。

 1,自家用車の普及を含め「個人」観光が容易になった
 2,観光に関する最新情報入手が容易になった
 3,「楽しみ」の多様化

様々な改革を行い、その後の中小企業の一つのモデルケースとなったのが、はとバスにおける「なら、しか運動」であった。顧客主義の基本である「顧客の声を聞き」、”私ならこうする””私しかできない”とした自分ならではの、自分しかできないことをやろうという運動である。
こうした顧客主義の延長線上として、東京観光の変化をキャッチすることから様々なヒットメニューが生まれてくる。例えば、団塊世代の女性向けの「懐かしの歌声喫茶ならぬ、歌声都内バス観光」などが良き例で、勿論美味しい食事・グルメ付きである。現在も「懐かしの昭和浪漫紀行」というツアーメニューで実施しているようだ。落語好きには落語家による案内で、小江戸と呼ばれる川越観光をどこよりも早く行い人気メニューとするなど。そして、再建当時のヒットメニューの中にニューハーフショーがあったが、現在でも「ニューハーフがお伴します。六本木香和(かぐわ)の夜」というメニューが継続しているようである。つまり、「個人」単位の多様な観光メニューを丁寧に開発し、今日に至っている。「顧客に聞く」とは、顧客自身ははっきりしてはいないが、興味関心事の先にある「未知」を探り出すことに他ならない。
はとバスのメニューを見ていくと、その「未知」とは何かが見えてくる。

1、過去への興味・下町レトロ 例;浅草観光+駒形どじょう
2、都市が持つ「新しさ」 例;東京スカイツリー+浅草天ぷら
3、一人で行く勇気はないが経験してみたい。 例;ニューハーフショー
4、全てに共通するものは美味しいグルメ
5、メニューは半日、日帰り、一泊、そして、安価であること

これが都市観光、東京観光のメニューの軸となっている。例えば、都市が持つ新しさというメニューについてはかなり前から水上バスを使った「夜の工場群観光」もそのメニューに入っており、定番メニューの一つとなっている。観光の視点を水上にしたり、夜に変えるだけで、面白い観光メニューになる良き例である。こうした視点が「市場変化」の波に乗るということだ。
そして、その波の中でも東京近郊という「日帰り観光」の目玉となっているのが、なんといっても「グルメ」であろう。帝釈天参道にもうなぎ料理の店が多く、はとバスのようなグルメ観光が行われている。草団子だけではグルメ観光にはならないが、小江戸と呼ばれる川越もうなぎの名店が多いが、柴又も江戸川沿いということから観光メニューの一つとなっている。

「未知」を楽しむオタク的観光

情報の時代にあって、その情報が過剰であればあるほど「リアル体験」が求められる。つまり、「未知」を体験して楽しむ観光が増加している。最近ではそうした観光を「秘境観光」と呼んでいるが、古くは秘湯巡りが温泉オタクの間で流行ったことがあった。また、同じように鉄ちゃんフアンがローカル線の旅を楽しんでいたが、それが進化し今や誰も利用しない無人の秘境駅が注目されている。
知る人ぞ知る、という優越感を満足させ、以前にも取り上げたたどり着けない「迷い店」のように、分かりづらさを逆に活用した、面白がり・ゲーム感覚を売り物にした「差」づくりの店ともどこかで繋がっている。
こうしたオタク的楽しみ方は、「街歩き」の世界にも浸透してきている。東京といっても広く、知らない街は多いのだが、鉄道沿線という視点に立てば、注目されることの少なかった東京の東側の京成線やJR常磐線が今注目されている。今後は東武沿線や神奈川の相鉄沿線なども注目されるであろう。そうした沿線を秘境沿線と言ったら、地元住民の方々から怒られるが、今回の葛飾柴又のある京成金町線などは東京都内の超ローカル線である。こうしたローカル線は他にもあって、周知の都電荒川線もそうであるし、世田谷区には三軒茶屋と下高井戸をを結ぶ東急世田谷線も同様である。
こうした沿線と共に、さらに駅単位というミクロな視点で言うと、JR鶯谷駅とか京成立石駅が「未知」の駅ということになる。マスメディアの話題には乗らなかった、ある意味忘れ去られた沿線や駅を探検する観光はこれからも進化していくこととなる。

しかし、「未知」を求めて多くの観光客が訪れてしまうと、「未知」を体験するのではなく、観光客が観光客を観光するというおかしな現象を生むこととなる。その典型の一つがティーンの原宿「竹下通り」である。新しい、面白い、珍しいファッションの宝探しは同じような宝探し観光客とぶつかりながらのショッピングとなる。日本人の中学生を中心とした観光客はまだ理解できると思うが、サブカルチャーの聖地と考える訪日外国人にとってはがっかりさせてしまうことになる。
また、本質的なことであるが、竹下通りのファッションは常に変化という観光地としての「鮮度」を保つことができるが、秘境駅などは一度経験してしまうとそれで終わりとなり、観光地としての回数化・継続化は難しいこととなる。前述の天空の城「竹田城跡」なども、他の魅力を創造しない限り回数化は難しい。

「街歩き」もテーマ観光の時代

「街歩き」は健康を主目的としたウオーキングの延長線上の一つということもあって、ブームを終え広く一般化した。そして、今から10数年前から始まった横丁・路地裏街歩きも「未知」を楽しむことから、次第にテーマを持った街歩きへと進化してきている。谷根千、谷中、根津、千駄木という観光地化の成功事例をスタディした時、かなりの頻度で小集団のグループと出会うことがあった。この谷根千エリアは東京でも有数の「寺町」で、古くからのお寺さんが多い。そうした江戸文化の残る寺巡りの魅力を更に強めることを目的に、メインストリートには「寺町美術館」が新たに造られ浮世絵版画作品を楽しめるようになっている。つまり、観光地化の一つの進化系としてテーマ集積が図られているということだ。
そして、こうした街歩きはシニアを中心とした俳句クラブの題材場所にも使われている。つまり、街歩きをしながら、句を読むということである。ちなみに俳句クラブは「結社」「同好会」「研究会」など多数あるが、正確な調査はなされてはいない。例えば、俳人協会には一万五千人ほどの会員が活動していると言われているが、その裾野は大きいと推測される。
以前は街歩きテーマといえば、「寺社めぐり」とか「五街道歩き」、あるいは「宿場めぐり」といった歴史の残る地形や場所が多かった。こうした傾向も最近では東京湾に注ぐ河川の水質が良くなったこともあって、江戸時代の主要交通は水上交通であったことを踏まえ、張り巡らされた水路や運河を巡る屋形船遊びといったところまで進化してきている。
少し前のブログ「マツコ・デラックスと林修 」でも書いたが、街場の達人によるオタク的世界が多くの趣味領域に急速に広がっている。ラーメン専門店の食べ歩きといった旧来の街歩きではなく、どこにでもある町の中華そば屋の「チャーハン巡り」、しかも高級中華店のパラパラチャーハンではなく、素人らしさの残るしっとりチャーパンをテーマとしているといった具合である。B級どころかCグルメが注目される。思い入れ深く、一芸に秀でた素人・オタクが街歩きの表舞台にも出てきているということだ。(後半へ続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:30Comments(0)新市場創造