さぽろぐ

ビジネス  |札幌市中央区

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2015年11月15日

未来塾(19)「テーマから学ぶ」下北沢文化の今(前半)  

ヒット商品応援団日記No629(毎週更新) 2015.11.15.

小田急線と京王井の頭線が交差する下北沢は「若者の街」と呼ばれて久しい。その下北沢は駅の地下化が進み、鉄道線路跡地を中心に再開発計画が進んでいる。完成の2018年には、その変化が目にみえる形、体験実感できることとなる。そうした意味合いを含め、今後どんな街へと変わっていくであろうか、「若者の街」の現在と若干の予測を含めスタディした。




「テーマから学ぶ」


若者の街

下北沢文化の今

再開発とシモキタ文化のこれから


急行を使えば渋谷まで4分、新宿まで9分、小田急線と京王井の頭線が交差する下北沢は「若者の街」と呼ばれて久しい。勿論、沿線には東京にあっては一番多くの中学や高校・大学があり、通学する学生が乗り換え、あるいは集まる背景はある。最近の1日の乗降客数は京王が114,056人、小田急は114,669人となっている。秋葉原の乗降客数に近く、かなり多い駅と言える。そして、井の頭線は渋谷と吉祥寺の中間乗り換え駅であり、小田急線も新宿と町田などとを結ぶ中間駅となっている。ある意味、「乗り換え中心駅」のウエイトが大きい。

それを象徴していると思うが、駅周辺にはワンルームタイプのアパートやマンションが多く、渋谷や新宿に近いにもかかわらず、家賃が安く生活しやすいことからも若い世代の大学生やビジネスマン・ウーマンにとっては人気の街となっている。写真では見づらいと思うが、部屋の家賃の多くはワンルーム6万台~8万円といったところである。
東京に住む人間、特に2つの鉄道沿線に住む人間にとっては理解・認識していることだが、下北沢駅周辺の再開発事業を踏まえた駅の改良事業・地下化が進み、この駅のみならず「街」全体が大きく変わるであろうと。渋谷についてはJR渋谷駅を始めとした再開発事業はTVなどのメディアで広報されよく知られてはいるが、恐らく下北沢は渋谷に次ぐ変化をもたらすこととなる。しかも、あと数年で2018年にはその変化が目にみえる形、体験実感できることとなる。そうした意味合いを含め、今後どんな街へと変わっていくであろうか、「若者の街」の現在と若干の予測を含めスタディした。

▪️再開発事業の分かりやすさ




どの再開発事業も同じであるが、価値観や利害の異なる住民や商業者、あるいは諸団体は存在する。ただ沿線住民、鉄道利用者にとって、通勤・通学時間帯における「開かずの踏切」、さらには駅横の補助54号は常に「バスなどの交通渋滞」となっており、都市の交通インフラ整備は長年にわたる強い要望事項の一つであった。この要望を単純化すると、鉄道の地下化、下北沢駅、世田谷代田駅、東北沢駅、3駅の地下化という極めてわかりやすい再開発計画となる。
そして、この計画がさらに進展したのは地下化による「跡地利用」であった。勿論、現在も工事中であり、その全体像を実感することはできない。
2008年8月1日より、世田谷区は下北沢地域の小田急線跡地についての意見募集を行うとして「鉄道跡地を利用した公共施設計画のアイデア募集」なる文書を配布することから計画が始まった。

そして、2013年3月、小田急線の東北沢-下北沢-世田谷代田駅間の約2.2kmが地下化される。これに伴い、小田急電鉄は東京都、世田谷区、渋谷区などと線路跡地の土地利用について具体的な協議が始まる。2013年11月には世田谷区内の施設配置(ゾーニング構想)に関する協議がまとまり、小田急線上部利用計画について発表した。街の個性や雰囲気を踏まえ「にぎわいや回遊性、子育て世代が住める街、文化」をキーワードに、街に新たな魅力を創出することを目指すとある。「子育て世代が住める街」とあるが、このことは世田谷区はイメージ上は子育てしやすいと思われているが、住んでみたい街No1の武蔵野市吉祥寺が緑の多い待機児童0であるのに対し、実は待機児童は1200名近くとなっており、世田谷区が子育てしやすい環境を踏まえた再開発であって欲しいという意味である。

▪️地上線路の跡地利用という創造世界

商業施設のリニューアルや再開発に携わってきた者であれば、必ずスタディした最近事例の一つがニューヨークの観光名所となった「ハイライン」である。ハイラインはウエストサイド線の支線で、マンハッタンのロウワー・ウエスト・サイドで運行されていた1.45マイル (2.33 km)の高架貨物線跡を、空中緑道として再利用したものである。
見に行きたい再開発事業であったが、未だ見に行ってはいないのでハイラインのコンセプトにもなっている空中緑道の造られ方についてはウイキペディアから引用する。
「公園のアトラクションには、野性に返った廃線の風景に着想を得て植栽された植物が挙げられる。さらに、しばしば現れる市街地とハドソン川の意外な景観もそのひとつである。小石打ち込み仕上げのコンクリート歩道は線路と一体化し、広くなったり狭くなったり、端から端へ移動したり、バラストに埋め込まれている植物と石畳に混ざり合って枝分かれしたりする。敷設されている線路と枕木は、ハイラインでかつて使われていたものである。」
つまり、再開発事業の根本である、「何を残して使い」、「何を新しいものへと変えていくのか」が明確になされている。この創造性こそが再開発事業には必要とされる。
さて下北沢の場合はどうかと言うと、「ハイライン」を念頭に置きながら、次のような考え方で進められている。

”再開発のテーマは「シモキタショッピングゾーン」とし、駅舎の2階に商業施設を置く。
ただし、「大規模な商業施設は考えていない。地域からどういうものが必要とされているのか、検討を進めている」”と、小田急の山木利満社長はこのように語り、駅周辺の商店街との共存が可能なものとする予定だという。
さらに、駅を挟んで南と北で高低差があることを考慮して、駅舎の2階部分と駅前広場がつながる設計にし、駅から周辺への回遊性を高める。バス・タクシーのロータリーを含めると広さ約7200平方メートルに及ぶ駅前広場は、祭りなどのイベントに活用するほか、災害時には避難場所として使うものとし、防火水槽などを設置する。また、自転車置き場の上部には、立体緑地や小広場が設けられる。このように構想されている。写真は予定されている工事中の駅前跡地である。

▪️若者の街のターニングポイント

下北沢が若者の街と言われて久しいと書いたが、より正確に言うとすれば、交通至便にもかかわらず物価も家賃も安く生活しやすい街、つまり若い世代にとって住みやすい身近な言わば下町のような存在ということだ。勿論、下町人情ではないが、誰彼となく気軽に話ができる雰囲気のある街ということである。
電子書籍「未来の消滅都市論」にも書いたが、若者の街も時間の経過と共に大人の街にもなり、更には老人の街にもなる。人口の流入・流出は大きな国という単位で考えれば減少に向かっており、小さな単位で考えれば増加・成長も減少・衰退もある。そこにマーケティングという方法が必要とされている訳であるが、下北沢という街も今回の「地下化」「跡地利用」が一つのターニングポイントになることは間違いない。つまり、「乗り換え駅」から目的を持って下北沢を訪れる人をどれだけ集客できるか、同時に何よりも駅から一歩入れば戸建て住宅やアパート・マンションの住宅街となる。そんな今住んでいる住民に対する課題解決でもある。

下北沢と共に若者の街と呼ばれる渋谷も、1990年代街の中心的リーダー企業である東急グループによって「大人の街」をコンセプトにした街づくりが進められたことがあった。そして、その象徴例が商業施設渋谷109の渋谷におけるポジションであった。渋谷駅から少し外れたところに東急百貨店本店や東急文化村といった「大人」を対象とした商業施設がある。その導線上にある渋谷109を高感度な女子大生を中心とした20歳代女性のSCへとリニューアルしたことがあった。しかし、結果はどうであったか。周知のように女子中高生を中心としたティーンズファッションの聖地となった。渋谷109を代表するブランドのエゴイストはカリスマ店長という流行語を生み出し、さらにはガングロ・山姥という社会風俗をも現象させた。
つまり、渋谷109はデベロッパーの意図に反し、ティーンの街の象徴になったということである。そして、面白いことに渋谷109とは渋谷駅を挟んだ反対側に、2012年4月に「渋谷ヒカリエ」が開発された。このヒカリエはまさに「大人」の複合商業施設である。そのヒカリエであるが、地下4階から地上34階建ての館内は、東急百貨店の新商業施設「ShinQs(シンクス)」をはじめ、大型イベントホール「ヒカリエホール」、クリエイティブフロア「クリエイティブ 8/(はち)」、日本最大級の劇場「東急シアターオーブ」などが集積されている。
このように「大人」のための複合商業施設が可能となったのも、高層ビルという「箱」の中によってである。街は大小商業施設をはじめとしたオフィスなど諸施設の回遊性を踏まえ、住んで良かった、これからもと思えるような愛着の持てる街に、そうしたコンセプトが求められる。街は生き物であると言われるように、常に変化し続ける。過去という歴史を踏まえ、未来を感じさせてくれる街づくりということになる。下北沢駅周辺、特に鉄道線路跡地の利用を含めた開発はどんな「魅力」を生み出すのであろうか。

その下北沢の回遊性であるが、下北沢という街を特徴づけているのが構造上からいうと、2つの鉄道が交差し、北口と南口とに分断されている点にある。しかも駅から歩いてわずか数分で住宅街となっている。つまり、街を形作っているスーパーも飲食店も、すべての商業施設がぎっしりと密度を持って構成されているということである。交差・分断された限られた土地、スペースの利用は通常であれば高層化といった経済合理性を追求していくのだが、下北沢の現状はといえば、逆にアナログ的に利用されているということになる。より具体的に言えば、道に面した1階だけでなく、地下や2階が路面と同様の店舗表情がうまく作られている。
ある意味、ごちゃごちゃした猥雑感すらある街並み、これが下北沢を「若者の下町」と呼ばせる所以にもなっている。こうした「下町観」「下町感」を今後どうしていくのか、そのことによって下北沢の街は大きく変わっていく。回遊性とは、歩くたびに新しい発見があったり、素敵な気分になったり、つまり「歩いて楽しい街」のことである。

▪️古着というOld Newに出会う街

大量生産大量消費というモノが溢れる時代にあって、他者との「違い」を自己表現の中に取り入れる人たちがいる。いつの時代でもそうだが、そうした常に新しい何か、珍しい何か、面白い何かに敏感なのは「若者」であった。そうした「何か」を古着では「一点もの」、あるいは「レア物」と呼ぶが、ある意味豊かな時代の一つの「消費スタイル」である。そして、多くの古着フアンはそうした「一点もの」、あるいは「レア物」を探すことを「出会い」と呼んでいる。
若者の街と呼ばれる街、原宿、渋谷、あるいは吉祥寺や町田などを歩き古着ショップを目にしてきたが、下北沢ほど古着ショップの店舗密度の濃いところはない。おそらく狭い街に大小60店舗以上あると思うが、そうした物理的なことと共に、価格帯も幅広く、ブランドも多様にあり、勿論「一点もの」という掘り出し物に出会うことも多いと言われている。

地形上北口と南口に分かれていると書いたが、スペースが限られていることと、古着ショップの集積度から2つのエリア共に分布している。恐らく北口エリアの方がショップ数は多いと思うが、出会いを求めて歩くにはその密度の濃さによって良い回遊性が形作られている。
そうしたショップの中には1990年代からある老舗ショップがあったり、ユニークなショップとしては写真のような元銭湯後に入った「NEW YORK JOE」といったショップもある。
この「NEW YORK JOE」は吉祥寺にもあり、1000円前後の商品が数多く並ぶが、毎月第一日曜日は【全商品半額】といったプロモーションも実施し集客を図っている。同じ小田急沿線の町田にも古着ショップは多かったが、町田の場合は分散しており、ショップ密度、テーマ集積密度は今ひとつであった。
また、「未来の消滅都市論」にも書いたが、ティーンの聖地である原宿にも古着ショップは多い。そうした背景からであろうか、下北沢にも同じ系列の古着ショップが出店している。その代表的なショップが古着フアンであれば誰でもが知っている「CHICAGO」が南口エリアに出店している。
今回の「地下化」による北口エリアと南口エリアの「一体化」は、古着フアンにとって「古着との出会い」を満喫できる良き回遊性、街歩きの楽しさが倍加するであろう。

そして、重要なことは回遊性が高まることによって新たなビジネスも生まれてくるということである。街歩きの楽しさを倍加させるビジネスとしては、「休憩」と「食」ということになる。「休憩」とはつまりオシャレなカフェであり、「食」とは食べ歩きのことである。既に「農民カフェ」をはじめとした幾つかのカフェはあるが、「古着」だけで更に若い世代を吸引するのは難しい。原宿の場合は、まさにオシャレを始めとした「宝探し」のような楽しさが満載したエリアであり、そして常に「変化」というニュースを提供している。そこまでのテーマ集積が下北沢にあるか、あるいはこれから創ることができるか、かなり難しいと言えよう。より特異なテーマへと進化するのか、あるいは衰退へと向かうのか、時代の「何か」を吸収する生き物という認識が極めて重要であるということだ。

▪️カウンターカルチャーの街

「古着」と共に多くの人が指摘もし、納得もするのが下北沢は演劇の街である。実はその演劇の街と呼ばれる10数年前、下北沢は音楽の街(=若者の街)と呼ばれていた。当時の若者は今や団塊世代となったが、音楽世代・ビートルズ世代と言われたようにロック、ジャズ、ブルースなどを流すバーが続々と下北沢の街に登場する。そして、1979年には「下北沢音楽祭」が開かれる。
その音楽の街下北沢に元映画俳優本多一夫氏が飲食店を開店することから演劇の街が始まる。俳優仲間の助けが評判を呼んだこともあり、事業は大成功し、多数の店舗やビルを運営するようになる。実業家となった後もショービジネスの世界に貢献したいと演劇養成所を設立し、1981年最初の劇場「ザ・スズナリ」を開場する。写真がその昭和の匂いのするレトロな看板である。
本多氏の活動を振り返ってみると、なぜか同じ時期1983年に沖縄にアクターズスクールをつくったマキノ正幸氏を思い起こす。周知のように安室奈美恵やSPEED、DA PUMPなど多くのスターを輩出することに成功した人物である。本土の芸能世界から離れ、離島沖縄からスターを輩出したのだが、本多氏も都心の俳優座といった舞台から離れた場所下北沢に、大劇場ではなく小劇場を造ったその構図は同じである。つまり、既成の芸能文化を表とするならば、裏文化・カウンターカルチャーと呼んでも構わない新しい文化の創造である。

ところでその「ザ・スズナリ」であるが、元はアパート「すずなり荘」だった二階部分を改造して劇場にし、一階部分には当時のままの造りで小さな飲み屋さんが密集している。ただ古いだけでなく歴史を重ねた劇場は、演劇人なら一度は立ってみたいステージと言われている。
その後も駆け出しの劇団の活躍の場となる小劇場を次々とオープンさせ、現在では下北沢に7つの劇場とスタジオ、横浜にも「相鉄本多劇場」を構えるまで発展する。ちなみに本多さんは現在も役者として舞台に立つことがあると言われている。
その小劇場の中心にあるのが「本多劇場」でグループでは最大規模の演劇場。本多グループのHPによれば夢の遊民社や第三舞台などかつての有名劇団ほか、大人計画、ナイロン100℃などの人気劇団が今も公演をおこなっているとのこと。
そして、今では毎年2月に1ヶ月かけて行われる「下北沢演劇祭」は区営の劇場も巻き込み、世田谷区の一大イベントとなっている。これが「演劇の街」と言われる所以である。
また、駅から歩いて5分ほどのところに北沢タウンホール(北沢区民会館)があり、その劇場使用料が安いこともあって稼働率が高く、最近では若手落語家による寄席が多いようである。

▪️隠れ家、「裏文化」の魅力

こうした大小の劇場がある街であるが、そのサブカルチャーの裾野が輝くのはやはり「夜の下北沢」となる。下北沢という歴史的・地理的にもよるのだが、都心の新宿や渋谷から少し外れた街として古くからある飲食店と新しい店とが奇妙に同居している街となっている。ある意味、未来塾にも取り上げたことのある吉祥寺のハモニカ横丁に似ている。

その代表的な飲食店がおでんの店「宮鍵(みやかぎ)」であろう。創業は60年は超えていると思うが、黒塀のまさに昭和レトロのおでん屋さんである。私も友人と共に仕事帰りによくお世話になった店である。年数としては老舗となるが、そんな構えた堅苦しさのない、ある意味ごくごく普通のおでん屋さんである。
また、忘れてはならない下北沢ならではの店がある。この店も古く、あの俳優故松田優作が通ったと言われるジャズバー「LADY JANE」である。当時はジャズ喫茶やジャズを聴かせるバーが渋谷にも新宿にもあったが、下北沢にも落ち着いたジャズバーがあると聞いて私も最後の一杯を飲みに時々行った店である。今回友人と共に10数年ぶりに行ったが、以前と変わらない落ち着いた雰囲気、いや匂いが残っている店である。

こうしたある意味特徴が際立つ特異な店が多く、下北沢には街の中華料理店にもそうした店が多い。例えば、その代表的な店の一つが「みん亭」である。この店も古くからある店で聞いてみたら昭和39年創業とのこと。まさに昭和レトロな中華屋さんで、焼き豚なども赤い食紅が使われていたりして、なんとも懐かしい味を提供してくれている。勿論、若い世代の多い街であり、今流行りの横浜家系のラーメン専門店や「一龍」という人気店もある。そして、「餃子の王将」もしっかりとあるが、街の中心から一歩奥に入ればそこは閑静な住宅街になっている。そうした街に住む「大人」のための外食としては蕎麦となるが、駅からは少し外れてはいるが「打心蕎庵」とか、リーズナブルな価格で提供してくれる「玄蕎麦 路庵」といった隠れた名店も多い。

こうした老舗と共に下北沢の「食」を特異なものとしているのが、新しい店であろう。ここ数年下北沢でそうした新しい店を食べ歩いているわけではないが、特異な店となると元祖スープカレーの「マジックスパイス」であろう。10数年前札幌の専門店さんたちと勉強会をしていた頃、話題となっているスープカレーの店があるので案内してもらったことがあった。市内の路地裏の一軒屋を改装した店であったが、いや改装というよりエスニックな装飾がなされただけの畳座敷であったと思う。スパイシーなチキンカレーで、どのように食べたら良いのか聞いた記憶がある。そんな訳で東京に出店したとのニュースを聞いて一度食べに行ったことがある。札幌の一軒屋の店内装飾もそうであったが、写真のようになんとも表現しがたいユニークな店舗フェースである。
カレーというと古本と共に知られている神田の名物がカレーである。下北沢も数年前からカレーをテーマとした飲食店のプロモーションが行われているが、やはり「マジックスパイス」は元祖と言われる通り特異な存在となっている。

ところで新しい店に行きたいと思い友人と一緒に食べに行ったのが「とぶさかな」という魚料理の居酒屋であった。南口から5~6分歩いた住宅地に近い路地裏に店があり、店の作りとしては若い世代向きの店である。店内の多くは20~30代の女性が多い。都心の低価格で勝負の居酒屋チェーンを卒業した、そんな女性たちと思える顧客層である。いろいろと刺身を食べたが、最後にバッテラを食べた。鮮度の良いサバを使っており、それに合わせるように酢飯の酢も弱めにしバランスの取れた、なかなかのものであった。
こうした店以外にも「魚真」といった人気居酒屋チェーンもあり、他にも居酒屋チェーンはある。このように新しい店も多くあり、苦戦する大手居酒屋チェーンとは異なる特徴を持った店が多いように思える。大量生産大量消費による安さを提供してきた大手チェーンとは異なる、メニューだけでなく店作りを含め独自な他と違う工夫が随所にあると感じた。(後半へ続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 10:42Comments(0)新市場創造