さぽろぐ

ビジネス  |札幌市中央区

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2015年05月31日

未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(前半)

ヒット商品応援団日記No615(毎週更新) 2015.5.31

今回の未来塾のテーマは「エスニックタウンTOKYO」という多民族、異文化の交差点となっている東京の変化を取り上げてみました。2014年1341万人という訪日外国人を迎えた日本ですが、実は足元である在留外国人によるコミュニティがについても変化が生まれている。生のなかに、具体的には、外国人によるコミュニティとその固有な生活文化の日本社会への浸透と衰退、更にはコミュニティの「先」にある観光地としての「街」についていくつかの具体的事例を見ながら学んでみることとする。

















「テーマから学ぶ」

エスニックタウンTOKYO
日本の中の外国


この写真を見てどの街であるか言い当てられる人はエスニックフードオタクか、もしくは近隣の不動産関連企業に勤める人しかいないであろう。東京に永く住んでいる私であるが、その変化のスピードは凄まじく、どのように変わっていくのかその経過を知ることは難しい。
昨年2014年の訪日外国人は過去最多の1341万4千人だったと政府観光局は発表した。その後の訪日外国人数はさらに伸び東京の街中はニューヨークと変わらない多様な人々が行き交う雑然とした街の様相を見せている。その背景及びいわゆるインバウンドマーケティングについては既に1年ほど前からブログにも公開しており次なるテーマとするが、実は足元にはいくつもの外国人居住者のコミュニティがつくられ、その消費も日本社会の表へと徐々に出てきている。
今回の学習テーマはそうしたコミュニティの中の「消費」と、そうした「消費」に触発される日本人の消費変化、この2つを視野に入れたテーマとして、大きく言うならば「日本のなかの外国」を浮かび上がらせてみることとする。そして、勿論、「日本のなかの外国」を学ぶことは国内外を含め「次」の市場開発へとつながるという意味である。

ところで写真は新宿百人町文化通りにある通称「イスラム横丁」の「GREEN NASCO(、グリーンナスコ)」というハラル専門店である。新宿百人町の最寄駅はJR山手線新大久保駅から徒歩数分のところにある通りである。韓流フアンであればコリアンタウンの少し外れたところといった方がわかりやすい。周知のようにイスラム教徒の国々からの訪日外国人が増え、そうしたムスリムに対するハラル認定料理を出すホテルが増えたり、更に輸出まで行おうとする食品メーカーもあり、マスコミを通じて公開され一定の認知を得てきているところである。


やはりというか、そうだろうなと思っていたが「GREEN NASCO」の隣にはケバブ(トルコ料理)の店があり、秋葉原のオタク街でも、上野アメ横においても数多く見かけるケバブ販売の店であるが、斜め前の「新宿八百屋」のスタッフとの会話がなんともおかしかった。ケバブを売っている中東の人間と思しきスタッフとの会話がハングルによるものであった。コリアンタウンの外れとはいえ、よくよく考えれば至極当然のことであるのだが。

▪️ヘルシーハラル

この「イスラム横丁」にはハラル食材、お米から羊肉まで揃えているが、特に香辛料関連が多くそれまではイスラム圏の人たちの専門店であったが、次第に日本人も例えばカレーづくりのための本格スパイスとして利用するようになってきている。更には昨年ニューヨークではヘルシーな食として話題になっており、そうした情報を踏まえ日本においても「ヘルシーハラル」への関心が高まっている。ハラル食がアルコールと豚肉を使わない野菜と鶏肉が中心になっていることからだ。そして、何よりもハラル認証をされている食材であり、「安心」ということでもある。


ちょうどウオッチングしていた時、ハラル専門店としては古くからある「Barahi Foods & Spice Center(バラヒ)」にどこかのTV局のクルーが取材に入っていた。
そして、どのビルであるかは確認はしなかったが、イスラム教徒の礼拝には欠かせないモスクも用意されていると聞いている。
また、こうした専門店の他にもベトナム料理専門店も出店しており、新宿新大久保はコリアンタウンが中心とはなっているが、後に触れるがコリアンタウンの衰退を踏まえエスニックタウンといった方がふさわしい異なる様相を見せはじめている。

▪️外国人居住エリアと訪日外国人

総務省の発表では人口動態調査(2013年3月末時点)によると、初めて調査対象となった外国人は、東京都が38万5195人となり、都道府県で最多であった。人口に占める外国人の割合もトップの2.93%で、新宿区、港区などが高水準だったと。外国人を除く人口増加数は、前回を2万人余り上回る5万8174人となり、都心流入が強まっている。
都内の区市町村で外国人が最も多かったのは新宿区の3万2521人で、区の人口に占める割合は10.13%。外国人向けの商店が多い大久保地区を中心に、中国、韓国など東アジア系居住者が集まっていることに加え、経済関係の進展などを背景に「最近はネパール、ミャンマー、ベトナム国籍が増えている」という。そして、新宿区では多言語対応を含め、多文化共生推進課を設け、外国人の教育環境や災害時の支援なども検討されている。
港区においては欧米系を中心に外国人の割合が8.01%と高い。ただ旧外国人登録制でピーク時に2万2千人を超えていた外国人は、08年のリーマン・ショックや11年の東日本大震災を機に減少傾向が強まり、今回の調査では1万8648人となっている。

一番新しい東京都による調査では11年(東日本大震災)の水準には戻ってはいないが、増加の傾向となり、2014 年 1 月 1 日現在、東京には 39 万 4,410 人の外国人が居住している。

そして、こうした居住外国人と訪日外国人を加えるとどうなるかである。2015年3月の訪日外国人は桜の季節ということから、前年同月比 45.3%増の 152 万 6 千人となった。そして、その内70%以上が東京に立ち寄っている。しかも、アジア系外国人は120万人弱と圧倒的多数を占めている。こうした外国人の多くが、浅草雷門や渋谷のスクランブル交差点といった人気観光スポットを踏まえ、インターネットで調べた情報をもとに、JR山手線に乗り、好きなラーメン店を探したり、そして東京に居住する外国人コミュニティにまで足を延ばすようになってきた。
ちなみに世界のイスラム教徒の人口を見ていくと、インドネシアの2億5000万人を筆頭にパキスタン、インド、バングラデシュと続く。まだまだ訪日外国人としては少ないが、増える傾向にある。
新宿百人町のイスラム横丁にハラル専門店やモスクができているのも至極当然の時代になったということである。

ちなみに2014年の国別訪日外国人数は以下となっている。

台湾        282万9800人(伸び率28.0%)  
韓国       275万5800人(伸び率12.2%)
中国       240万9200人(伸び率83.3%)
香港         92万5900人(伸び率24.1%)
米国         89万1600人(伸び率11.6%)
タイ          65万7600人(伸び率45.0%)
豪州         30万2700人(伸び率23.8%)
マレーシア       24万9500人(伸び率41.3%)
シンガポール  22万7900人(伸び率20.4%)
英国         22万0100人(伸び率14.8%)

▪️主要な外国人居住エリア

新宿百人町のイスラム横丁と呼ばれるような一定の商業集積ができたのはここ数年であるが、全国を見ていけば、以前から外国人コミュニティは数多く存在し、独自文化が町へと広がっている。古くは横浜中華街や新宿新大久保のコリアンタウン、といったところであるが、日本全国では次のようなコミュニティもある。
例えば、日本最北の国境の町 北海道・稚内市はサハリンまでたった40kmほどしか離れておらず、いわばロシアへの玄関口。稚内港からサハリン・コルサコフまでフェリーが就航している。こうしたことから市内にはロシア人向けのスーパーまである。
また、面白い活動としては、観光地を目指しているのがブラジル・タウンと呼ばれている 群馬県大泉町であろう。1989年に日本の出入国管理法が改正され、3世までの日系ブラジル人とその家族を無制限に受入る規制緩和によって多くの日系ブラジル人が居住し始める。景気に左右されるが、大泉町には三洋電機や富士重工業、その近くには凸版印刷などがあるため、 それらの工場で働くブラジル人が非常に多い街となっている。人口約4万1千人に対し約6千500人の外国人登録者がおり、外国人比率15.7%。ユニークなのは大泉町自らその「ブラジル・タウン」を観光地として売り込んでいることである。”東京から1,000円!しかも2時間でブラジル!に行ってこれます!!”といううたい文句である。
大泉町の他にもブラジル人の多い町は、愛知県豊田市、豊橋市、静岡県浜松市、岐阜県美濃加茂市、可児市、大垣市など。周知のように、豊田、浜松、太田は自動車産業の拠点でもある。

▪️変化する外国人留学生

日本学生支援機構によれば、平成26年5月1日現在の留学生数は以下となっている。 
総数 184,155人 (前年比 16,010人(9.5%)増)
ここで注目すべきは出身国(地域)別留学生数で上位5位は以下となっている。

中国  94,399人 (▲3,476人(▲3.6%)減)
ベトナム  26,439人 (12,640人(91.6%)増)
韓国  15,777人 (▲1,506人(▲8.7%)減)
ネパール  10,448人 (4,641人(79.9%)増)
台湾  6,231人 (571人(10.1%)増)

この数字とその傾向を見れば如実に分かることがある。留学生の増減は「日本への期待」が高い国もあり、また逆に低くなっている国もある。つまり、海外進出を見据えた日本企業にとっても中国や韓国の「次」のマーケットを考えた結果となっていることも分かる。
このリストには載っていないが、ベトナムとともにその豊かな市場性としてインドネシアがあることはいうまでもない。こうした国々からの留学生も増えてくることは間違いない。

▪️東京の新しい外国人コミュニティ

今、外国人によるコミュニティやその生活を営むための小売店や飲食店、更には学校や礼拝のための諸施設が新しく作られ始めている。その小さな芽の一つが冒頭の新宿百人町にあるイスラム横丁である。他にも東京には以下のようなエリアにその芽が出てきている。
■高田馬場(新宿区):ミャンマー
■錦糸町(墨田区):タイ
■池袋(豊島区):中国
■西葛西(江戸川区):インド
■代々木上原(渋谷区):トルコ&アラブ
■蒲田(大田区):ベトナム
■目黒(目黒区):インドネシア
■大山(板橋区):バングラデシュ
■竹ノ塚(足立区):フィリピン

▪️2010年在日中国人が在日韓国・朝鮮人を超える
2010年12月末時点では中国・台湾両地域合わせて687,156人が外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模となった。在日中国人は東京が最も多く164,201人、在日韓国・朝鮮人の場合は大阪が最も多く118,396人(2013年12月末)となっている。ちなみに東京は98,966人となっている。

日本人の人口減少を受けて、消滅する市町村に話題が集まったが、同時に小子高齢日本の中で、基本的には移民を受け入れない日本のなかにも外国人コミュニティが新たに生まれ、また衰退するところも出てきている。数年前、地域住民や商店とのあつれきに注目が集まったが、大きく言えば日本文化の理解の浸透とともにそうしたトラブルも減ってきている。
また、海外からの技術研修生を安価な労働力として使う農家や企業への批判を踏まえ、かなりそうした農家や企業は減ってきてはいる。東日本大震災の復興及び2020年の東京オリンピックに向けた建設需要が大きく、いわゆる人手不足状態にあって、建設現場では多くの外国人労働者が働いている。こうした背景も踏まえ、外国人によるコミュニティとその固有な生活文化の日本社会への浸透と衰退、更にはコミュニティの「先」にある観光地としての「街」についていくつかの具体的事例を見ながら学んでみることとする。

1、衰退に向かう街、新大久保コリアンタウン

恐らく誰もが衰退する街として第一に挙げるのが新宿新大久保のコリアンタウンであろう。JR新大久保駅の大久保通りと新宿職安通りに挟まれた一帯であるが、久しぶりにいわゆるイケメン通りを含め新大久保から新宿まで何回か歩いてみたが、以前の活気あるコリアンタウンとは全く異なる光景が広がっていた。
ところで日韓の歴史認識問題を含めた冷え込んだ関係の影響も若干はあると思うが、ここでは観光地としての限界とそれを突破しえる「何か」が見つからないまま数年が経過している点について考えてみたい。

周知のようにコリアンタウンという観光地を形成する第一歩が2003年の「冬のソナタ」ブームであった。次にK-POPブームが起き若い女性がフアンとして増え、韓流人気の裾野が広がっていく。そして、新大久保だけではなく、全国規模で韓国料理店が急増する。特に、新大久保のコリアンタウンには韓国俳優やミュージシャンのDVDなどのグッズや韓国コスメなどのショップも増え、一大観光地となる。
しかし、「韓流の中心」と呼ばれ、ファンのランドマーク的存在だった新宿・新大久保の「韓流百貨店」が2014年4月末に経営破綻する。2002年に創業し、韓国食品のほか、韓流スターグッズ、化粧品・雑貨などを取り扱ってきた。05年に新大久保店(新宿区)をオープン以降、「百貨店のように何でもそろう韓流ショップ」をコンセプトに急成長する。12年1月期には売上高約16億円を計上したが、販売が低迷し、資金繰りが急速に悪化。“韓流倒産第1号”となる。現在は異なるオーナーが引き続き経営をしており、営業は継続している。
更に、韓流百貨店倒産に続き、韓流ムックなどを手掛けていたTOKIMEKIパブリッシングの倒産も報じられる。

▪️顧客層が変わったコリアンタウン

それほど頻繁に韓国料理を食べに来たわけではないが、2000年代半ばの顧客層、冬ソナシニア世代は極端に少なくなっており、それはメインストリートである大久保通りを歩く人たちが極めて少なく感じられた。そして、何度か食べたことのある店でランチを食べたが、以前と同じと言えば言えなくはないが、新しい何か、本場ソウルの進化した新しい「食」に出会うということはまるでなかった。以前と同じサムゲタンやサムギョブサルといった変わらぬメニューであった。ソウルに行かなくても、ここコリアンタウンに来れば「ソウルの今」を味わう、まるで明洞の食を味わうことができるという意味であるが、そうした進化した「食」はなかった。

そして、食後イケメン通りを通って新宿に向かったのだが、ここでも人通りは写真のように閑散としていた。しかし、大久保通りとは異なり2~3人連れの若い女性、ハングル語の女性たちが歩いてはいたが、昼のランチ時にもかかわらず、行列の店は皆無であった。
そして、イケメン通りで唯一活気があったのが、ドン・キホーテで、韓流フェアーをやっており、奇妙な感覚に囚われた。そして、以前もそれほどではなかったが、職安通りも食事に出かけるサラリーマンがちらほら歩いているだけで、韓国の食材を売る南大門市場も閑散としており、ソウルの南大門市場を彷彿とさせるような品揃えも猥雑さもまるでない店となっていた。

そして、象徴的なことはドン・キホーテもそうであるが、職安通りに面している韓国の飲食を含め、免税品をメインにした各種商品を販売している商業施設の前には韓国からの観光客がショッピングを終え、バスを待つ行列であった。

▪️聖地(=精気)を失った街

韓流百貨店が破綻した当時、「冬のソナタ」の「ヨン様ブーム」のようなキラーコンテンツを見出せないままブームが終わり、Kpopフアンである次の顧客層もキラーコンテンツたり得ないという指摘を聞いたことがあった。昨年、そのKpopの「少女時代」が来日公演し一定の集客成果を挙げたと聞いている。
韓国はその国家政策として、韓国ドラマや映画、韓流スターなどを積極的に海外へと輸出してきた。そして、日本市場はビジネスとして大きく育ってきた。その中での新大久保コリアンタウンである。韓流スターが訪れる飲食店は「冬のソナタ」のロケ地を訪れるのと同じ意味合い、つまり「聖地」を感じる意味合いを持っていた。観光地とはこうした「聖地」としての意味を持つ。この聖地は韓国の聖地の代替としてあり、常に本国の韓流文化と同じでなければならない。
以前、米国オバマ大統領と朴槿惠大統領との首脳会談で「娘たちが教えてくれた」と江南(カンナム)スタイルが話題になったとそんなニュースを耳にしたことがあった。欧米で大ヒットしたサイ(PSY)の「江南スタイル」についての話題であるが、日本にはそうした江南スタイルはマスメディアにも載らず話題にもならなかった。勿論、新大久保コリアンタウンの中にもカンナムスタイル関連のグッズなどを売っている店も少しはあったが、話題として広がる気配はない。
つまり、キラーコンテンツは韓国のなかにあり、そのつながりによってのみ、キラーコンテンツとなる。そのつながりが実感できなくなった時、ブームは終わり、それでも好きなフアンだけが新大久保コリアンタウンへと足を運ぶ。つまり、観光地としての構造が既に失われているということである。

「観光地」とは継続的に魅力を保持できることが大前提である。景色も、祭りも、名物駅弁も、和歌山電鉄の駅長タマに至るまで、会いに行けるといった実感できるのが観光地である。韓国本国とのつながり、その変化を逐次コリアンタウンへと導入し、店頭化・サービス化しないかぎり、寂れた過去の観光地となる。あの北海道の旭山動物園が再生できたのは、単に動物を見せることから動物の本来持っている「生命行動」をわかりやすく興味深く実感できるように展示することによってであった。旭山動物園にとってキラーコンテンツとはこうした「実感展示法」によって再生を賭けたということだ。そして、ペンギンの朝の行進から始まり、しろくまの大ジャンプ、今ではオランウータンの綱渡といった変化ある展示が継続的に実施されている。
新大久保コリアンタウンは、「韓流の聖地」どころか、観光地としての最低限の魅力が既に劣化している。再生に向けたマーケティング着眼とそのビジネス努力が今のところ見られない。結果、その通りの寂れた光景を露出させている。

実は知人が大久保通りのマンションに住んでいることもあり、コリアンタウンの変化について聞いてみたが、その答えは「経営がやっていけなくなった店は多いが、その店の経営権を譲り受け、居抜きで内容を少し変えそのまま経営する。しかし、本質的な解決ではなく、半年、1年でまた経営者が変わる」と指摘していた。結果、通りを見ても「シャッター通り化」してはいないが、実態は街全体がシャッターを閉める寸前にあるということだ。(後半へ続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 12:46Comments(0)新市場創造