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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2014年08月13日

未来塾(8)「スポーツから学ぶ」「プロ化」市場 

ヒット商品応援団日記No589(毎週更新) 2014.8.13. 

未来塾(8)ではスポーツという視点から新たにどんなビジネスが生まれているかを学びます。長年スポーツを取材しその変化を体験してきた元京都新聞社運動部長であった井上年央氏にお願いをしました。第一回目は「プロ化」市場、アマチュアスポーツからプロスポーツへ、その変化する市場について学びます。




「スポーツから学ぶ」

時代の観察

「プロ化」市場


日本のスポーツは今年(2014年)で103歳といえる。1911(明治44)年、現在の日本体育協会の前身である大日本体育協会が創立された。次の年にストックホルムで開かれる第5回オリンピックに初出場を目指す動きだった。中心人物は柔道の講道館創始者、嘉納治五郎で、大日本体育協会の初代会長に就任する。ストックホルム五輪の日本選手団もつとめるが、選手は男子陸上の2人だけだった。
             ◇
 近年の日本のスポーツにいくつかの大きな変化があった。代表的なものは「プロ化」、さらに「女子(女性)スポーツの興隆」、「企業スポーツの衰退と再生」といったことだろう。ほかにも、スポーツ医学の発達で選手寿命が伸びたり、ジュニア選手の活躍などの現象もある。野球やサッカーなどで、日本のトップレベルの選手が、続々と海外に進出しているのも、一昔前には考えられなかった傾向だ。
 まず、1回目では、プロ化の流れを追ってみたい。日本人のスポーツ感覚に「アマチュアは崇高であり、プロはお金儲けにすぎない」というのがあった。「あった」と書いたのは、現在では、もうその価値観から脱していると考えていいからである。後遺症というべきものもある。野球は、プロとアマの垣根が長くあり、プロの選手やコーチが、高校、大学などのアマチュア選手を指導してはいけなかった。笑い話に「長嶋茂雄が、家でご飯を食べながら、息子の一茂に野球の話をしたら、ルール違反の指導に当たるのか」というのがあった。相撲、ゴルフ、ボクシングも、アマとプロの組織は別々である。サッカーは、世界の常識を日本でも取り入れていて、日本サッカー協会という一つの団体がプロもアマも統括している。
 サッカー以外の他の競技でも、オリンピック級の選手は、すべてプロ活動をしていると見て差し支えない。ただし、マスコミ露出の極めて少ないマイナー競技は別だ。スポーツのプロ化は、スポーツの各種競技の間に「貧富」の格差を確実に生む。
             ◇ 
 振り返ると、日本のスポーツは当初、大学中心だった。「早慶戦」であり、帝国大学の学生が主役だった。戦後、高度経済成長とともに、強化の面では企業(実業団)チーム、選手が突出する。1964(昭和39)年東京五輪の女子バレーボール金メダル「東洋の魔女」は、「いとへん」企業のニチボー貝塚だった。
 ヨーロッパ、アメリカのスポーツからみると、日本の企業スポーツは理解不能といわれた。会社の社員がビジネスの仕事ではなく、スポーツをして給料をもらうのである。賢い日本人は独特の言葉を編み出した。「ノンプロ」である。
 独自の成長を遂げた?日本のスポーツは、経済のバブル崩壊とともに否応なしに姿かたちを変える。第1の変革は、企業(実業団)が本業の不振をなんとかしなくてはいけなくなり、金のかかるスポーツを一斉に切り始めた。スポーツの社員たちは本業の仕事をしていなかった。事実上の解雇に遭う。かつて、企業スポーツは「会社の知名度を上げる何よりの宣伝部隊であり、勝つことで、社員や工員の士気を高めた」のだが、バブル崩壊で企業の存続が危ぶまれ「そんなこと言っておれない」状況になった。
 1993年に誕生したサッカーのJリーグは、企業の強力アな支援が背景にあり、滑り込みセーフ。当時、川淵三郎チェアマンは「Jリーグの立ち上げ時期が半年遅れていたら、実現しなかっただろう」と言っている。
              ◇ 
 さて、スポーツの「プロ」の要件とはなんだろう。選手は、当然ながらアマチュアには真似のできない高度なプレーをしなければならない。技術的なことだけではなく、「スター性」が求められる。入場料を払っても見たいと思う観客が必要だ。そのスポーツ、選手のスポンサーがでてくることも不可欠だろう。ひっくるめて「興行」が成立し、プロスポーツが確立される。
 もっとくだいていうなら、そのスポーツに「お金が集まる」ということだ。サッカーのJ2・愛媛は、優秀なストライカーを獲得するために、ファンドを設定した。一般のファンなどから集めたお金で有力選手と契約する。その選手が活躍してクラブ収入が増えれば、出資者に還元する仕組みだ。成功すれば、スポーツに「ファンド」を持ち込む一つの道が開かれる。注目していきたい。
 現在、国内で正面からプロリーグを名乗っているのは、プロ野球以外ではサッカーのJリーグと、バスケットボールのbjリーグである。ラグビーは、海外ではプロ化の動きが定着しつつあるが、国内では「企業スポーツ」から地域の「クラブスポーツ」に切り替え中で、一気にプロリーグ化は難しいだろう。他の競技では、チームゲームであっても、プロとしての契約選手と、従来のアマ選手が混在している状況だ。
 日本のスポーツ百年の歴史からみると、プロスポーツの世界は、まだまだヨチヨチ歩きなのだ。だからこそ、ビジネスチャンスがある、ともいえる。2020年東京五輪に向けて、日本のスポーツが大きく変化することだけは確かだ。




スポーツビジネスに学ぶ


1、「プロ化」という市場

企業スポーツからプロスポーツへの進化の象徴としてJリーグが挙げられるが、そのことはビジネスとしての経済的自立を目指すことでもある。その経済的自立とは普通の企業経営と同じで、経営は顧客(フアン)によって支えられる。そして、Jリーグにおいてもやっと資金調達のひとつの方法としてファンドが実施され始めている。
ファンドという方法は既に映画製作から太陽エネルギーによる電力会社の運営や、最近では東日本大震災における産業復興のためのファンドとして、個人でも参加しやすい小額ファンドとして浸透している。ある意味、やっとスポーツビジネスにおいてもという感がするが、こうしたスポーツファンドを活用した新たなスポーツ市場の開発が期待される。
つまり、「プロ化」とは自ら顧客創造を行う企業活動のもう一つの名前としてあるということである。
そして、プロ化した市場とはその頂点にはオリンピックやサッカーであればワールドカップなど世界選手権といった活躍の舞台がある。この舞台に立つためには通らなければならないいくつものステップや段階があり、登りつめるための道具やトレーニングといった市場が世界レベルに広がっている。最近のヒット商品としては、古くはイチロー選手が愛用してきたワコールのコンディショニングウエアCW-Xがそうであるし、最近では女子フィギュアスケートの浅田真央選手が使用しているマットレスのエアーウィーヴが該当する。そして、その先に何があるかと言えば、「プロ化」とはグローバル市場につながるキーワードのことであり、既にナイキやアディダスなどが活動しているように世界市場の開拓ということになる。
周知のナイキという企業はもともとは日本のシューズ・メーカーの米国輸入販売業者として創業した企業である。日本の技術者を引き抜き次第に自社製品を開発するようになり、現在では世界170以上の国と地域で自社製品の販売、ネット通販、卸売ならびにライセ ンス契約による販売を行っており、世界中のほぼ全ての地域でスポーツ・シューズ・メーカーとしてトップクラ スのブランドを築き上げている。
この「プロ化」とはつまるところ企業活動そのものであり、プロチームが顧客による入場料収入やグッズ販売などによって経営がなされる。しかし、企業経営がそうであるように「成長」は宿命となっている。そのために野球もサッカーも選手自身を一つの「商品」とし、他チームへの移籍によって新たな収入を得るようなもう一つのビジネスモデルが活性化している。そして、Jリーグにおいても更なるグローバルビジネスメニューとして新たな試みも始まっている。その良き事例が横浜Fマリノスとタイとのサッカー交流で、タイのスター選手をリクルートし、その試合をタイにて放送し、放映権料という収入を得る。更には選手育成のノウハウを提供したり、タイ進出の日本企業をタイリーグのスポンサーとしてつないだり、つまり、スポーツを通じた互いに新たな市場の創造を行うといったビジネスモデルである。

2、「プロ化」市場の裾野は大きい

景気の好不況はあってもGDPの60%を消費が占める成熟した豊かな時代にいる。そして、グルメの時代とは飽食の時代のことでもあり、時代の最大関心事は「健康」であり、ダイエットとなった。一時期の“楽してやせる”“サプリメントを飲めばやせられる”といった間違った方法による経験を経て、健康としてのスポーツが見直され始めている。
例えば、オリンピックのマラソンのようにトレーニングを積んだアスリートの世界ではなく、全国至るところで行われる町の市民マラソンや今なおブームが去らない皇居一周ジョギングまで、広く浸透している。最近では村おこし、町おこしと連動したマラソン大会が行われ、給水所ならぬ名産品のスイカを食べる休み所といった、勝敗を競う競技よりかは一つのスポーツイベントを楽しむ方向のマラソン大会まで実施されてきた。
また、皇居のジョギングアスリートを対象とした「鹿屋アスリート食堂」が東京竹橋にオープンしたが、連日多くの人で賑わっている。面白いことにその賑わいの中心はアスリートではなく、周辺のサラリーマンやOLであるという点である。この「鹿屋アスリート食堂」の特徴は鹿屋体育大学による「スポーツ栄養学」に基づいたメニューにより「バランスのとれた豊かな食生活」を提案。 アスリートの食事のように、健康的な減量やパフォーマンスを発揮するためのメニューに関心と共に人気が集まっている理由からだ。
こうした健康をキーワードとしたスポーツ市場の広がりにあって、その頂点にあるのが「味の素ナショナルトレーニングセンター」内にある栄養管理食堂「勝ち飯食堂」であろう。このように「プロのための食事」が健康スポーツ市場を牽引し、「鹿屋アスリート食堂」といった裾野市場を誕生させているといっても過言ではない。つまり、「プロ化」による新市場の開発はやっと始まったばかりであるということである。

元京都新聞社運動部長 
スポーツライター  井上年央
ヒット商品応援団 飯塚敞士


(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:22Comments(0)新市場創造