さぽろぐ

ビジネス  |札幌市中央区

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2011年05月02日

人間が人間であるための故郷 

ヒット商品応援団日記No501(毎週更新)   2011.5.2.

福島原発事故の避難地域住民の人も、岩手や宮城の津波によって家も家族も根こそぎ奪われた人も、必ず口にする言葉に故郷がある。故郷に戻りたい、故郷を復興させたいという思いで口にするのであるが、故郷という言葉を聴くと、国民的な人気マンガ・アニメであるちびまる子ちゃんの世界が想起される。周知のさくらももこが生まれ育った静岡県清水市を舞台にした1970年代の日常を描いたものであるが、ここには日本の原風景である生活、家族、友人が生き生きと、時に切ない思いで登場している。故郷は日常そのもののなかにあるということだ。そして、その日常とは住まいがあり、仕事や学びの場所があり、そして移動する鉄道がある。がれきの山となった被災地で写真を始めとした思い出を探す光景が報じられるが、それら全て日常の思い出探しである。
誰もが思うことであるが、転勤で国内外を問わず転々ととする人も多いが、やはり帰る場所、故郷があっての話しである。今回の東日本大震災は、一種の帰巣本能のように、がれきの向こう側に突如として故郷が思い出され、帰りたいと、それが故郷であった。しかし、巨大津波で根こそぎ故郷を奪われてしまった海岸線の人も、放射能汚染によって立ち入ることすら制限されている福島原発周辺の人にとっても、故郷を失ったデラシネの人となってしまう恐れがある。

デラシネは、放浪、根無し草を意味する言葉であるが、その根っこが乾き枯れてしまわないように1日も早く日常を取り戻されなければならない。29日には東北新幹線が全線開通し、新青森から鹿児島までつながることとなった。これを機会に東北を元気づけるために、観光客を誘致することをマスメディアは盛んに報じるが、それはそれとして必要とは思うが、在来線である東北本線が少し前に復旧したことの方がうれしい話である。あるいは東北自動車道開通もそうであったが、コンビニのローソンもイオンのSCも被災地で復旧オープンさせたことの方が大きな意味を持つ。それは被災地にとって、日常に一歩、故郷に一歩近づくことであるからだ。

3.11から気づかされたことの一つが家族という絆であったが、もう一つはコインの表裏の関係となる日常の大切さである。避難所には勿論日常などはない。避難所として使われている旅館やホテルにも日常はない。復旧、復興すべきはこの日常であって、そのための仮設住宅であり、道路や橋、鉄道、そうしたインフラもさることながらやはり仕事と学校であろう。例えば、岩手県の主力産業は漁業であるが、その船の9割が損壊・流失してしまったと言われている。新しく船をつくることも必要であるが、国内・海外の中古船を購入できるように政府・県が経済支援を含め道筋をつけることだ。後は漁師自らが海に出て魚をとりにわかめをとりに行く。それが日常を取り戻す第一歩となる。子どもであれば、学校へと通学することが第一歩となる。こうした至極当たり前のことのなかに、実は豊かさがあったということだ。

その日常であるが、都市生活者にとって節電という学習は単なる省エネ、省マネーとしての意味だけでなく、前回ブログに書いたように、「切に生きる」生活として、ライフスタイル的にはロングライフスタイル、そのためにはシンプルであることが必要となる。ビジネスとしてはベストセラーではなくロングセラーに着目すべきとなる。日常とはこうした安定、継続されるものであり、多くの人に再認識されるであろう。そして、その再認識される日常のなかに、故郷がある。ロングセラーを続けるちびまる子ちゃんのように、際立った特徴はないが、日本人の気持ちにしっくりとくる世界だ。

消費という欲望の向かう先の一つに故郷的何かがあると考えている。もっと具体的言えば、故郷の何に豊かさを感じるかである。東北にはコミュニティ、人と人との関係、結びつきが今なお残っている地域であり、それも故郷の一つであろう。勿論、一言で言えば風土となるが、単なる風景ではなく、そこでの生活そのものが故郷となる。季節やその土地固有の祭りや行事といった慣習を含め、それら全てが故郷となる。記憶を辿り、それら一つひとつを蘇らせることのなかに故郷がある。
故郷は日常そのものであると指摘したが、変化は日常の小さなこと、毎日のなかに出てくる。まず、食事に表れてくる。おふくろの味と言えば話しは終わってしまうが、100軒あれば100のおふくろの味がある。また、第二のおふくろの味となっているのが、学校給食であろう。学校給食からは揚げパンを筆頭に多くのヒット商品が生まれてきた。食による町起こし、村起こしとしてB-1グランプリがあるが、食を通じた故郷の祭典である。東北で実施しようとの話があるが、今年は是非東北で実施してもらいたいと思う。

孤独死に象徴される無縁社会にあって、東日本大震災によって気づかされたことの一つが故郷があった。故郷は命の誕生と共に多くの縁を結んできた場所であり、私が私である証しとなっている。デラシネとは無縁社会の別名であり、被災者を漂流させてはならない。そして、都市生活者にとっても、故郷願望、故郷回帰が増幅されるであろう。故郷の豊かさとは、こころのなかにあって、人間が人間であるために不可欠な居場所、それが故郷ということだ。(続く)   


Posted by ヒット商品応援団 at 11:24Comments(0)新市場創造