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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2009年07月26日

衆院選挙へのもう一つの視座

ヒット商品応援団日記No386(毎週2回更新)  2009.7.26.

このブログを書き始めて4年近くになる。ちょうど郵政民営化の是非を問う「郵政選挙」が始まろうとしていた時期であった。このブログにも「小泉ブランド戦略」というテーマで、「政治」をマーケティングの視点から書いたことがあった。勿論、その戦略手法は劇場化戦略であるが、今回の衆院選挙の情況とは大きく変わってきている。
しかし、情況が変わっているにもかかわらず、同じ手法による「東国原シアター」は失敗に終わるとブログにも書いたが、まさにその通りとなった。つまり、この4年間、「サプライズ」といったキーワードにどれだけ翻弄されてきたか、多くの生活者は体験学習してきたということだ。この間の消費の在り方を見ていけば分かるが、サプライズの裏に潜む本質を見極める目が養われてきたということである。つまり、最早サプライズによって創られた「曖昧な期待」などしないということだ。

マーケティングでは、顧客の「期待値創造」のコア(中心)となるものをコンセプトと呼んできた。そのコンセプトを分かりやすく、ワンフレーズで表現したのが、いわゆるキーワード、ネーミングである。名は体を表し、今回の解散をどう表現するか、マスメディアやネットメディアが伝えている。
与党サイドからは危機感というより悲鳴に近い「がけっぷち解散」「自滅解散」「土砂降り解散」、野党サイドからは「政権交代解散」「これしか選択肢がなくなってしまった解散」といった具合である。面白いものには、自民党の若手議員からは国会にはもう戻れないとの意味で「サヨナラ解散」とか、「泣きべそ解散」といった秀逸なネーミングもある。外野席のパロディスト、マッドアマノさんは「KY(漢字読めない)首相の、KY(解散時期読めなかった)解散」と呼び、更にネット上では祖父の吉田茂首相の「バカヤロー解散」をもじって「バカタロー解散」といった野次まで出てきた。同じ外野席からいつも秀逸な野次を飛ばすコラムニスト天野祐吉さんは、今回はいたってまじめに「自民党解散」選挙とストレートに言っている。選挙結果についてはここ1ヶ月ほどの都議選などの地方選挙の結果を踏まえ、既に多くのメディアがその当落についてシュミレーションしている。現実は別として、既に情報的には民主党が政権を獲得している。本来受けて立つべき与党は民主党を非難するネガティブキャンペーンを張り、一方野党はそれに応え政権交代を目指すと。つまり、情報環境的には、衆院においても与野党逆転が既に起きており、情報の時代ならではの現象である。

この1年ほど、周知のように消費の現場では「わけあり商品」が中心となってきた。「わけあって安い」「わけあって高い」という価格世界を表すキーワードであるが、もっと明確に言えば、リアル価値、納得価値、価格価値化が消費を決めてきた。そこには「あいまいさ」など全くない。つまり、政治においても「何か、やってくれそう」といった曖昧な期待など持ってはいないということである。
もう一つが、やはり信用・信頼ということであろう。産地や原材料の偽装体験をしてきた生活者にとって、その商品は信用足り得るか、本当にそうなのか、と身構えた消費だ。収入は増えない、不安は山ほどある、そうした背景を踏まえた生活実態を私たちは「巣ごもり生活」と呼んできた。どの調査を見ても、数年前から一番目に挙げているのは年金問題であり、医療を含めた社会保障を解決して欲しいという要望である。「東国原シアター」などといった軽い発想が論外であることは言うまでもない。

この信用、信頼こそ政治の原点であるが、このことは与野党共に等しく問われている。4年前の郵政選挙では、まだ経済的にも、社会生活上でも、生活者にとって少しの「余裕」はあった。そうした意味で、「曖昧な期待」が通用した訳である。しかし、最早そんな情況にないことは自明だ。信用、信頼とは一種の生活者と政治との「契約」「約束」である。公約、今ではマニフェストということになるが、もしそれが果たされなかったら弾劾するのが「契約」である。わけあり商品のその「わけ」が嘘であったり、単なる大言壮語に終わった場合、返金要求もしくは二度とその店には行かないであろう。奇しくも、ロッテリアの新製品であるハンバーガーのように、「まずかったらその場で返金します」というのと同じである。実施してみてどの程度の返金要望があったか詳しくは分からないが、このロッテリアの戦略は顧客の納得価値に応えたものだ。

ところで、「選挙」という商品ビジネスで一番マーケティングしているのはどこかというと、やはり抜きん出て行っているのは週刊誌の「当落予想」であろう。1990年代の金融危機の時は「金融機関破綻ランキング」によって経済紙が売れた。勿論、新聞やTVといったマスメディアも政党広告によってビジネスとなる。しかし、こうした興味本位、もっとストレートに言うならば覗き趣味的な欲望は少なからずあるが、今回の選挙はもう少し異なる様相を示すであろう。
従来の選挙は、「いかにマスメディアに露出するか」であった。選挙はタレントの好感度調査と同じで、良いイメージをマスメディアに載せることが当落を決めると。勿論、この延長線上に「劇場化戦略」もあった。先日、麻生総理の挽回策について、小泉政権時代の元秘書官がインタビューに、「今、麻生総理が行うことは土砂災害にあった山口防府市に防災服姿でかけつけることだ」と答えていた。小泉劇場の仕掛人らしいパフォーマンス発想であるが、もはや「東国原シアター」と同じ発想でそんな時代ではない。

それでは、どんなマーケティングをすべきかである。私のブログを読んでいただいている方は分かっていると思うが、巣ごもりしている生活者に対し、閉じられた巣の扉を開けてもらうためには、サプライズでも、広告でもない。まず政治自らが生活者に「聞く」ことから始めるということだ。勝手に作った商品が売れないように、価値観が錯綜する時代であればこそ「聞く」ことは全てに優先されなければならない。自らメーカーではなくマーケティング会社であると位置づけて来た「花王」も、20年以上前から消費者窓口に寄せられてきた情報を分析し、商品改良や新商品開発に役立ててきた。債務超過で倒産寸前であった「はとバス」が再生できたのも、「ならしか運動」(私ならこうする、私しかできないことをやる運動)と共に、その日の顧客の小さな声をメモに書き投函する「お帰りBOX」からヒット商品が生まれたように、全て顧客の声によって今日がある。政治も同様に「聞く」ことの積み重ねが政策になり、生活者へと返していく原点に戻らなければならないということだ。

企業にとっては至極当たり前のことであるが、今一番遅れている「政治」が選挙を通じ生活者に「聞く」ことを始めたと考えたい。米国オバマ大統領を支えてきたのは若い世代であった。高齢者もそうであるが、今聞くべきは若い世代、ともすると草食系男女と揶揄されている20代の若者である。彼らの約半数は非正規労働者として、バブル崩壊以降ここ十数年の矛盾と混乱を体現してきた。車離れ、結婚離れ、社会離れ、・・・・多くの「離れ現象」、モノ、ヒト、出来事離れを見せてきた世代であるが、政治離れであって欲しくない。
右肩上がりの時代は政党が「言う」時代であり、生活者は「曖昧な期待」で政策=結果を判断すればよかった。しかし、周知のような時代ではない。自民党の政策コンセプトは「安心社会の実現」である。まず「聞く」べきはこの世代からだ。聞くことを怠ってきた政党、政治家は落選するであろう。恐らく今週中には提示されるであろうマニフェスト、その政策の「何故」を聞くことになる。そして、生活者は判断するということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:54Comments(0)新市場創造