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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2009年01月01日

出てこい異端児

ヒット商品応援団日記No330(毎週2回更新)  2009.1.1.

新年あけましておめでとうございます。
昨年の元旦号では、「ゴドーを待ちながら」というサミエル・ベケットの戯曲のタイトルを借りて、この十数年私たちは「何」を待っていたのかと書いた。やってきてくれるかどうか分からない不確かな何か、救世主あるいは神と呼んでもかまわないが、そのゴドー(Godot)という「不確かなもの」を待った十数年であった、そう私は書いた。しかし、やってきたのは金融工学というコンピュータを駆使した先端錬金術によって産み落とされた、神ならぬ妖怪で、世界中を跳梁跋扈したあげく破綻した。しかも、妖怪を産み出した金融資本主義は概念としては破綻したが、今なおその体制・制度は崩壊してはいない。

実は、妖怪を産み出したのは私たち自身の内にあると指摘してくれたのは「暴走する資本主義」を書いたロバート・B・ライシュであった。つまり、妖怪は一人ひとりの心に、脳に、消費者として、投資家として、市民として存在していたのだ。しかし、コントロールすべき市民認識が薄れ、いつしか妖怪を暴れさせてしまった。結果、投資においては年末の東証の終値8,859円が象徴するように、42.1%という戦後最大の下落率となった。消費について言えば、偽装という言葉は日常語になってしまい、最早誰も驚かなくなってしまったが、その多くは市場がグローバル化することによる内外価格差やランキング信仰に起因する。確かにこの内外価格差をシステムとしてビジネス化させた企業が多くの利益を得てきたことは事実である。情報がないところではランキングといったガイドは一つの参考情報となる。しかし、いつしか内外価格差を偽装する企業も出てきた。ガイド情報はランキング信仰へと進み、提供者はランキングを偽装することによって利益を得る。こうした偽装を消費者として体験し、学習してきた1年であった。それらをポジティブに見ていけばコントロールすべき市民として成熟させてくれたといえよう。

ところで、この十数年消費あるいは社会現象として多くの回帰現象、いや単なる現象から回帰すべき何かが実体化されてきたように思える。個人化社会というバラバラとなった関係社会から、再度家族単位へと回帰し、例えば一人鍋から家族鍋へと変化した。歴史に埋もれた日本文化を掘り起こし、実感するような和回帰。その回帰ブームの代表が京都であるが、熊野古道のような古の道を歩き、宿坊に泊まるといった小さな旅まで、文化体験が進んできた。創られた自然ではなく、あるがままの自然を楽しむといった自然回帰。旭山動物園を発端に、廃園の瀬戸際であった全国各地の動物園や水族館へと足を運ぶようになった。そもそも回帰とは、行き詰まった「今」を解決すべく過去の中に、原点に未来の芽を見出す、そんな次に向かう志向である。

正月元旦の新聞各紙は一面に危機が叫ばれ、次にどう進むべきかと問うている。その象徴が日経新聞で、危機に際し新たな発明・発見があったとし、「今」の起点を年表で掲載しながら、「逆境に克つ」方向を提示している。時々ユニークな編集を行っている東京ローカル紙東京新聞は「100年に一度の岐路」とし、衆院選という政治をテーマとしている。こうした新聞各紙を読んだのだが、言葉だけが踊っており今ひとつピンとこないものばかりであった。起点、100年に一度、こうした回帰すべき視座があるとすれば、日本の場合それは江戸幕府から明治維新政府へと大きく変わったことであろう。

例えば、「日本語が亡びるとき」を書いた作家水村美苗氏は、明治維新による西洋文明の衝撃を受けた夏目漱石の「三四郎」を引用し、日本人の精神の証しである国語が滅び行く様に警鐘を鳴らしている。問題の根っこにある近代文明とは一体何であったのかという原点に立ち帰り始めた良き事例である。元旦各紙のピンとこない曖昧さは、起点とすべき、回帰すべき視座が明確になっていない点にある。原点に立ち帰り、対立する価値観をどう咀嚼していけば良いのか。例えば、経済でいうとグローバリズムとローカリズム、文化では英語と国語、ライフスタイルでは洋と和、地球環境では工業化とエコロジー、もっと身近なところでは公と私、・・・・今日課題となっている問題の原点は近代化を進めた明治維新にある。そして、明治維新がそうであったように価値観の衝突が起きる。

既にそうした衝突はこれからの日本が目指す社会保障の考え方、中福祉中負担VS高福祉高負担、一つとってみてもそうである。政治のみならず、日常生活のマナーやルールにも現れている。多元多様な価値観の時代とは混乱・混迷の時代ということだ。「異端と正統」という表現があるが、一瞬のうちに異端が正統になり、また逆もある時代だ。年末のブログでP.ドラッカーの言葉を借りて「明日というものは、無名の人たちによって今日つくられる」と書いた。社会という舞台には未だ上がってはいないが、対立する既成価値観が衝突する中から新しい価値が孵化する、そんなビジネスの芽は至る所にあるであろう。妖怪では困るが、出てこい異端児、である。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 18:49Comments(0)新市場創造