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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2008年04月27日

情報時代の通過儀礼

ヒット商品応援団日記No260(毎週2回更新)  2008.4.27.

少し前に「連鎖する社会」というテーマで情報の時代の特徴について書いた。こんなことは当たらない方が良いのだが、ここ1週間ほど、報道されるように「硫化水素自殺」の連鎖が起きている。この報道を耳にした時、日本が情報時代を迎えた1980年代に起きた岡田有希子後追い自殺現象を思い出した。1986年4月に所属事務所の屋上から飛び降り自殺したアイドル歌手であるが、死の現場に多くのフアンが集まり、彼女の死後2週間で27人の自殺者を出し、社会現象化した事件である。
当時はアイドル論が盛んで、「ディズニーランドに似合うアイドルを創ろう」といった仮想現実化に注目が集まっていた時期である。アイドルという身体をもたない創られた虚構の世界。そのアイドルの死を情報死として、いわば「情報心中」として連鎖していった社会現象である。このことに大きな衝撃を受けた事件であった。

こうした社会現象化する予兆を感じた時だけ、私は2チャンネルの掲示板のスレを読むのだが、いやなことだが無数の書き込みを読んだ。周知のようにサンスポのZAKZAKをはじめTVのワイドショーの情報源の多くは2チャンネルである。虚実、清濁、混沌とした世界であるが、鶴見済による「自殺マニュアル」以降、ネット上では「練炭自殺」を経て、硫化水素に関する書き込みは既に昨年後半からあった。勿論、自殺を助長してはならないので詳しくは書かないが、岡田有希子以降の時代背景が映し出されている。
その特徴だがネット上のスレは個人であり、練炭自殺の時は「仲間」を呼びかけたことにあった。今回語られていたことは、全て「個人」についてであった。しかも、スレの向こう側に膨大な自殺予備軍を私は感じてしまった。

「何かおかしい」と今から7年ほど前に既存情報をつぶさに調べたことがあった。勿論、経済ばかりでなく、社会現象や病気に至まで、ライフスタイルを構成しているであろう多くの指標となる情報を分析した。嫌なことだが市場が心理化していることから、精神病患者数や内容の変化、自殺者数の変化、公表はされていないが自己破産件数の推移なども含まれていた。
家計収入面では、バブル崩壊以降も増え続け、1998年から急速に減少する。1997年には拓銀や山一証券が破綻する。この年を境に自殺者が3万人を超えるのである。単に経済が悪化したからということではない。それまでの多くの価値観、大企業神話、終身雇用、年功序列、IT導入による仕事そのものの変化、そこに現れたのが「競争」である。こうしたパラダイム変化と共に、少子高齢化の入り口である生産年齢人口も減少へと向かう。つまり、今日現象化している多くは1990年代後半に始まっていた。

この転換点で一番大きな問題が個人化社会であった。豊かさと併行するように暮らし方が個人単位へと変わったことだ。住まい方も単身世帯と夫婦二人世帯が全世帯数の50%弱となり、夫婦共稼ぎは至極当たり前となった時代だ。この個人化を更に加速させたのがインターネットの普及である。皮肉なことに、瞬時に「答え」が手に入るGoogleという方法も手に入れることとなる。ちなみに2チャンネルの硫化水素による書き込みには「練炭自殺に代わる、新しい自殺方法が開発されました」とある。厚労省による商品販売規制の通達が出され、ネット上における監視規制が強化されると思う。しかし、どんなに規制を強化しても書き込みは続き、サイト訪問者も存在する。情報化社会にあって、ネット社会は越えなければならない新しい一つの通過儀礼のように思えてならない。自殺を100%思いとどまらせることは不可能かもしれない。しかし、詩人谷川俊太郎さんはコトの本質を詩人らしい表現で指摘してくれている。それはあの糸井重里さんが主宰している「ほぼ日刊イトイ新聞」の中で、読者からの質問に答えるという形でだ。「谷川俊太郎質問箱」より。

【質問】
どうして、にんげんは死ぬの?
さえちゃんは、死ぬのはいやだよ。
(こやまさえ 六歳)

追伸:これは、娘が実際に 母親である私に向かってした質問です。
       目をうるませながらの質問でした。
        正直、答えに困りました〜
   
[谷川俊太郎さんの答え]

ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、
「お母さんだって死ぬのいやだよー」
と言いながらさえちゃんをぎゅーっと抱きしめて
一緒に泣きます。
そのあとで一緒にお茶します。
あのね、お母さん、
ことばで問われた質問に、
いつもことばで答える必要はないの。
こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、
ココロもカラダも使って答えなくちゃね。

今、私たちに一番欠けていることを指摘してくれている。「アタマだけじゃなく、ココロもカラダも使って答えなくちゃね」と答える谷川俊太郎さんの暖かくもその明快さに強く共感する。母と子を、本人と回りの人との関係に置き換えてみる。アタマという言葉を理屈という言葉に置き換えても、ココロを愛情にと置き換えても、カラダを「虚構から現実へ」と置き換えてもいいかと思う。相談、会話、そして何よりも「ぎゅーっと抱きしめて一緒に泣くこと」が必要な時代だ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:31Comments(0)新市場創造