さぽろぐ

ビジネス  |札幌市中央区

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2008年02月03日

縁への着眼

ヒット商品応援団日記No238(毎週2回更新)  2008.2.3.

新しい市場はどこから生まれてくるのか、このテーマについてもう少し書いてみたい。前回<場>などの「境界」に着眼ということに触れ、東京杉並和田中学の地域本部や男性・女性の<性差>の境界が無くなり中性化してきたと書いた。そもそも日本の歴史を遡れば、地政学的にもユーラシア大陸東のハズレ、縁(ふち)にある島国であり、北は樺太から、南は沖縄・南洋諸島、そして朝鮮半島を通って、多くの人やモノ、文化などが流入し咀嚼してきた日本である。日本は島国で閉鎖的である、こうした歴史教科書の嘘はあの網野史学によって根底から覆されている。沖縄に海人(ウミンチュウ)という言葉があるが、島国であるが故に海洋国家として多くの国と交流してきた。網野善彦さんが指摘しているように、既に室町時代には太平洋を越えて南米ペルーに日本人が渡っていた。沖縄風に言えば、境界ならではのチャンプルー文化、コスモポリタンとしての要素を持っていたということだ。

縁(ふち)と共に、縁(えん)の世界も新しい市場を生み出していく着眼点だ。今、縁(えん)という言葉を耳にすると縁日や人と人との縁の世界を思い浮かべると思う。縁とは人を含めた関係性を指した意味合いがあり、地縁、血縁、学校や職場・クラブといった場によって出来る縁、最近ではブログ等による情報縁まで、いわゆるネットワークの起源としてある。こうした人との関係性による新市場の着眼については次回してみたい。

このブログでも日本の資本主義の源流、貨幣経済の発展について書いたことがあるが、結論からいうとそのスタートは荘園経営であった。商業発展の場である市場(古くは市庭)の原初は荘園と荘園との境界、縁(ふち)で行われていた。平安時代、市の立つ場所・境界には「不善のやから」が往来して困るといった史実が残っている。つまり、場としても精神的にも無縁的空間であったということだ。荘園と荘園との境界よりも、国と国との境界の方がより無縁的空間となり、そこに寺社を立てコントロールしてきた。網野善彦さんは、こうした境界・市の立つ場所を辺界と呼び、市の思想には寺社といった聖なるものが必要であったという。日本人は神仏という聖なるものとの関係、縁にはこうした見えざる世界との関係性がある。今も続いている寺社での縁日は、こうした聖なる神仏が降りてくる有縁の日という意味である。

日本人の縁の結び方の特徴は寺社や聖なる場所を見ればよく分かる。私が好きな沖縄にも世界遺産でもある斎場御嶽(せいふぁうたき)という聖なる場所がある。神々の島と呼ばれている沖縄であるが、神が降り立ってくる場所が御嶽で、そこには形あるものは何一つ無い。つまり、神はこころの中に降りてくる、という心性世界をよく表している。斎場御嶽の先には、神々の島・久高島があり、その先東の海にはニライカナイという他界があるとされている。つまり、辺界、この世とあの世との境界に斎場御嶽はあるということだ。

縁(ふち)、境界はある意味法が及ばない脱法的世界という側面を持つ。既に平安時代にも「不善のやから」が横行していた。欲望と欲望とがぶつかり合う混乱・カオスの世界でコントロールできないこともある。しかし、こうした中から新しい「何か」が生まれてきた。戦後の荒廃と混乱の中から、SONYやHONDAといったベンチャーが生まれた。1990年代半ば、既成価値観が崩壊する混沌の中から、マスコミも誰も注目しなかった右肩下がりの渋谷109からあのエゴイストも誕生した。挑戦と冒険をポリシーとしたヴァージングループというネーミングのように、常に市場はヴァージン(処女地)であり、境界、縁(ふち)に着眼ということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:16Comments(0)新市場創造