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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2007年08月15日

モノマネの先

ヒット商品応援団日記No193(毎週2回更新)  2007.8.15.

今日のライフスタイルの原型は江戸時代に生まれたというのが私の持論であるが、誤解していることも多く見られる。よく「江戸前の寿司」という言葉を使い、前にある東京湾で取れた魚介類を使ったから「江戸前」と言う、と言われている。しかし、この「前」という言葉は、男前とか腕前とかに使う「前」と同じ意味で、スタイルあるいは××流といった言葉に近い意味を持っている。当時は、多くのものは上方(京や大阪)から伝わったもので、それらに一工夫、味付けをしたものが江戸スタイルとして人気となった。寿司で言えば、上方が熟成させた押し寿司であったのに対し、目の前で酢飯に小魚をにぎってすぐ食べるのが江戸前寿司であり、この違いを「粋」といって江戸の人達は好んだ。四大江戸前は鰻、天ぷら、寿司、蕎麦であった。

この蕎麦は江戸前の冴えたる代表食で、それまでは蕎麦の実を雑炊のようにして食べていた。また、熱湯を入れて練った蕎麦掻きやそれを焼いたものがお焼きとして今なお残っている。江戸の初期はこうしたものであったらしいが、今日のような麺状の蕎麦、蕎麦切りが生まれ、屋台の成長と共に広く一般化していく。この蕎麦のルーツも上方の麦きり(うどん)を一工夫したモノマネと言われている。米等収穫できない荒れた土地に蕎麦の栽培は適しているが、江戸の蕎麦はお腹を満たす食というより、お酒をちびり飲りながら食べる趣味食、江戸前というスタイル食の代表であった。

今、このブログでも何回か書いたが、地方の時代、今まで地方に埋もれていた多くの食が都市へと集まってくると。いわゆる郷土食、郷土という風土に熟成され今日まで伝承されてきた食であるが、そのままでは難しい。勿論、その土地その土地の文化を食す訳であるが、新しい・面白い・珍しい食として一度は消費されるが、継続は難しいということだ。つまり、蕎麦のように、どう江戸前、都市スタイルに変えていくかである。これが、都市で継続して販売していくポイントとなる。実は、江戸初期の蕎麦はお菓子屋で蕎麦まんじゅう、蕎麦ぼうろ、蕎麦羊羹として売られていた。しかし、蕎麦に蕎麦切りという工夫したことと、屋台という業態がうまく合致したことによって、江戸中に広まったと言われている。その最初に広めたのが「慳貪(けんどん)蕎麦屋」で、以前からあった「慳貪うどん」を真似たものとも言われている。

モノマネは進化の基本であるが、要は「何」を真似するかである。蕎麦はうどんを真似たが、実はそれを流通させた屋台、「慳貪(けんどん)蕎麦屋」のけんどんとは「つっけんどん」のけんどんである。これ一杯のみ、セルフ式、こうしたサービススタイルもヒットの要因だと思う。江戸は今もそうであるが、地方からの寄せ集め都市であった。しかも、単身赴任が多く、外食した方が安上がりという背景もあった。モノマネの先に、こうした簡便さと個人の好みにまかせる「つっけんどん」が江戸前、江戸スタイルを創っていた。ちなみに、「慳貪蕎麦屋」は「二八(にはち)蕎麦」とも呼ばれていた。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:38Comments(0)新市場創造