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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2007年05月02日

昭和と平成の段差     

ヒット商品応援団日記No163(毎週2回更新)  2007.5.2.

団塊世代論や昭和という時代については昨年来文芸春秋を始め多くの雑誌でテーマ化されてきたが、TVでもようやく取り上げられ始めた。TVというメディアの特性上、一定時間腰を据えての取り組みが難しいメディアのためであろう。しかし、映像による昭和と平成の比較は、リアルにその変化推移を分からせてくれるものだ。
1965年11月からのいざなぎ景気と今回2002年からの平成景気との違いは数字上だけでなく、昭和のいざなぎ景気時代は「Always三丁目の夕日」のような集団就職の時代と就職氷河期を終えた売り手市場の平成就職時代との比較。いや、そもそも比較の前提であるが、昭和の団塊世代は大学卒は全体の15%で中高卒が85%であったのに対し、平成の今はほとんど大学全入時代である。年々給料が増えていった1億総中流時代の団塊世代に対し、成果報酬制度という平成の若者の幸福感とは決定的に異なる。

1989年に過去最高の株価をつけたいわゆるバブル期に企業の中枢に座っていた団塊世代に対し、グローバリズムの波間で悪戦苦闘する平成の20〜30代のビジネスマンとではビジネス観はまるで異なる。2007年度から一斉に退職する団塊世代の退職金は35〜50兆円とも言われているが、多くの平成のビジネスマンにとって老後の保障は定かではないと感じている。ましてやバブル期の1987年に施行されたリゾート法による全国各地の箱もの行政によるつけは今なお残っている。

昭和と平成という時代を生活から働き方まで大きく変えたのはバブル崩壊後の1990年代の半ばであった。産業構造の転換といってしまえば簡単に終わるが、1998年11月には拓銀が正式に破綻する。金融不安は主幹事会社であった山一証券へ、大株主であった日本長期信用銀行へと連鎖していく。不動産神話から、大企業神話、終身雇用、年功序列、多くの神話が解体する。まだかろうじて増加していた世帯収入は1997年をピークに急激に右肩下がりとなる。バブル前に購入した住宅ローンによる自己破産件数も急増する。実はこの時、家族崩壊の芽が出ていた。居場所を無くした少女達は渋谷を始め、都市を漂流する。この時期にあの夜回り先生こと水谷先生が夜の街へと少女を助けに出かけることとなる。物的な欠乏感はないが、精神的な飢餓感による多くの行動の予兆でもあった。

丁度このブログを書いている最中に、いわゆる「三角合併解禁」のニュースが報じられた。よく失われた10年というが、この10年は序章にすぎない。株式を公開している以上、ゴーイングパブリック、世界市場という「公」のルールに従わなければならない。随分前になるが、東京という市場は既に世界市場のTOKYOになっていると書いたが、日本全国隅々世界市場の一部となる。合併、買収の受け止め方であるが、これもまたチャンスと見ていくことが必要だ。先日鳥取米子に友人を訪ねた時、山陰の和菓子メーカーはお隣韓国のデパートに高級菓子として輸出している話を聞いた。日本海は内海のようなもので、今も昔も交易してきたし、室町時代には太平洋を渡って南米ペルーまで日本人が行っていた。タイのバンコックではあの大戸屋が高級レストランとして流行っていると聞く。失われた10年ではなく、次の時代への段差であると見なければならない。あの「はてな」が2月にYouTubeに掲載されている動画をセレクトして提供するサービスRimoを始めた。Rimoは今人気のWiiにも接続でき、MacのiPodのようなデザインで使いやすいものとなっている。こうした若い世代が昭和と平成の段差を無くし、次の価値観を示してくれると思う。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 11:41Comments(0)新市場創造