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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2007年01月31日

浮世の時代

ヒット商品応援団日記No136(毎週2回更新)  2007.1.31.

江戸時代、庶民のライフスタイル全般を表した言葉が「浮世」である。今風、現代風、といった意味で使われることが多く、トレンドライフスタイル、今の流行もの、といった意味である。浮世絵、浮世草子、浮世風呂、浮世床、浮世の夢、など生活全般にわたった言葉だ。浮世という言葉が庶民で使われ始めたのは江戸中期と言われており、元禄というバブル期へと向かう途上に出て来る言葉である。また、江戸文化は初めて庶民文化、大衆文化として創造されたもので、次第に武士階級へと波及していった。そうした意味で、「浮世」というキーワードはライフスタイルキーワードとして見ていくことが出来る。浮世は一般的には今風と理解されているが、実は”憂き世”、”世間”、”享楽の世”という意味合いをもった含蓄深い言葉である。そこで、江戸時代の生活価値観、人生観を表すキーワードの背景を探ってみたい。

江戸は初期40万人ほどの人口であったが、次第にふくれあがり最終的には100万人〜120万人の世界都市となっていく。幕府は「人返し令」をつくり、江戸への流入を押さえようとするが、疲弊した地方からの流入をとどめることはなかった。人、モノ、金、情報、が江戸に集中し、地方の人間にとって魅力的であったと思う。今日の格差社会どころではなかった。この時代のライフスタイル変化の最大のものはなんと言っても、一日の食事回数が2回から3回になったことだと思う。当時は火事が多く、1日3回の食事をしないと力がでなかったためと言われているが、定かな研究をまだ目にしてはいない。恐らく、商工業も発達し経済的豊かさも反映していたと思う。その食事回数の増加を促したのが庶民にとっては屋台や行商であった。新たな業態によって新たな市場が生まれた良き事例である。この屋台から今日の寿司や蕎麦などが進化していく。いわゆる今日のファーストフーズである。江戸時代こうした外食が流行ったのも今日とよく似ている点がある。大雑把に言うと、江戸の人口の半分は武士で単身赴任が多く、庶民も核家族化が進み、独居老人も多かったという背景があった。今日で言うところの個人化社会である。「夜鳴きそば」という言葉がまだ残っているように屋台や小料理屋は24時間化し、更には食のエンターテイメント化が進み、大食いコンテストなんかも行われていたようだ。つまり、必要に迫られた食から、楽しむ食への転換である。その良き事例が「初鰹」で”初物を食べると75日寿命がのびる”という言い伝えから、「旬」が身体に良いとの生活風習は江戸時代から始まったようである。上物の初鰹には現在の価値でいうと20〜30万もの大金を投じたと言われている。こうした初物人気を懸念して幕府は「初物禁止令」を出すほどであった。料理本も200種類ほど出されており、今なお知られているのが「豆腐百珍」で、その後も「大根百珍」「卵百珍」という具合に料理もゲーム感覚となっていく。寿司に必要なさかなを江戸前と言って東京湾の小魚をネタにしていたが、常時食べられるようにいけすで魚を飼っていたという資料も残されている。今日でいうところの活魚である。江戸の後期には「冬場の焼き大福」「夏の冷水」「既に切ってあるごぼうや冬瓜」といった物にサービスを付加したものが売られ、幕府はこうした自由で便利になりすぎたとして規制するまでになったと言われている。

さて、1603年に江戸に幕府が置かれ、264年続く江戸時代を食を中心に見て来たが、今日の東京の戦後60数年の都市の生成過程と酷似していることに気づかれたと思う。経済的な豊かさを背景に、質素であった食は2食から3食へ、必要に迫られた食からエンターテイメントの食へ、自然時間に沿ったライフスタイルも深夜化、24時間化していき、更にはモノ価値から高度なサービス価値の創造へと進化してゆく。1700年代初頭は戦国の世から100年近くを経過し、心理的にも豊かな時代に向かっていた時代である。その象徴が旅でお伊勢参りがブームになっていく。こうした経済的豊かさの裏側には当然「負」の世界もある。今日のような親殺し子殺しもあり、歌舞伎の演目にもあるように「曾根崎心中」といった心中もある。以前快眠をテーマに江戸時代の睡眠実態を調べたことがあるが、強盗が多発しいつでも起きれるように柱にもたれて寝ていたといった資料も残されており、犯罪は多かったようだ。こうした犯罪もさることながら一番の不安は多発する火事で商家の裏にはすぐ建て直せるように材木を備蓄していた。更には、疫病という不安もあった。つまり、江戸の人はそうした不安の海に生きているという認識があり、一寸先は闇どころか板子一枚下は地獄で、人生はその海に浮かぶようなものだと思っていた。だから「浮世」とネーミングしたのだと思う。このように豊かさと不安、正と負が表裏となった生活は「今」という時代と同じだ。前号でふれたマスメディアとネットメディアの関係も、江戸幕府の広報である高札が表であり、浮世絵や浮世草子あるいは瓦版が庶民のメディアで裏の関係と同様である。つまり、表も裏も無い時代になってきたということだ。
今日を浮世と見るならば、商品のライフサイクルは短く、常に一過性のビジネス、ブームとの認識は不可欠である。今回の「発掘!あるある大辞典II」のねつ造も瓦版として見ていけば理解しやすいと思う。心中など実際にあった事件は歌舞伎や浄瑠璃という舞台に取り上げられ、今日のワイドショーのように注目・話題を集める。劇場化社会は既に江戸時代にあったのだ。ある意味、私たちは江戸時代の庶民と同様に、浮世という正と負を見据える醒めた目、憂う目が必要な時代だ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:51Comments(0)新市場創造