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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2006年12月07日

ひらがなの美学

ヒット商品応援団日記No122(毎週2回更新)  2006.12.7.

少し前に「標準語から方言へ」というテーマで、日本語の発展歴史についてふれた。この文章を書かせた背景には2つの理由があった。1つは標準語というグローバルコミュニケーションとローカルコミュニケーションという2つのコミュニケーションを必要とする時代に入っているという認識だ。もう一つはローカルコミュニケーション、日本語あるいは方言についての理解があまりにも不足、いや大切にしないまま現在に至っているという指摘であった。「文化」や「文明」とは文字通り「文(字)」を前提とする。中国からもたらされた漢字文化と共に、日本固有の文化の源である「ひらがな」によって日本文化は発展してきた。この「ひらがな(平仮名)」は万葉仮名を徹底的に書き崩し、一筆書きといわれるような次々と書き下ろすような文字が生まれた。その担い手は女性であったということだ。そして、話し言葉と書き言葉がほぼ同一という点である。これは私の勝手な解釈であるが、このひらがなによって、微妙な表現、季節の移ろいやこころの情感といった固有な文化を創ってきたと思う。行間とか、間とか、といったうまく表現できないような繊細な世界を創ったのである。だから、以心伝心という言葉も生まれてきた。ひらがなが古今和歌集をそのスタートとし、恋愛や季節をテーマに使われてきたのもこうした背景からだと思う。

ところで何故こんな背景を書いたかというと、このブログでも何十回となく使ってきたキーワードに「心理市場」がある。豊かな時代にあって、こころが情報によって揺れ動く市場のことである。前回書いた神経過敏市場も、こころのデドックス要請についても、こうしたこころのあり方が極端へと走ってしまう市場である。言うまでもなく規律や法令と、道徳や思いやりは別物であるがどちらかが欠けても日本社会は成立しない。ビジネスという側面から見て行くと、ある意味で人と人とが関わる小売業などは「ひらがなの世界」で、企業間取引といったことは「漢字の世界」になると思う。意味が若干異なるが本音と建前といった言葉も該当するだろう。今、マナー、倫理、モラル、あるいは本音といったこころの世界、ひらがの世界と、論理、理屈、合理性、マニュアルの世界、デジタル世界といった漢字の世界がうまく調和していない混乱の時代だということである。

例えば「癒し市場」であるが、何によって癒されるのか、私は「ひらがなの美学世界」だと考えている。キーワード的にいうと、隙間、ゆとり、空白、ゆるみ、日常、小、はなし言葉、道草、といったところである。今年の流行語大賞となった「品格」はまさに「ひらがなの美学世界」そのものである。日本は「情緒と形の文明」と著者の藤原さんは書いているが、ひらがなを形にするという着眼、美的感性である。「なにもなにも、ちいさきものはみなうつくし」といったのは清少納言であるが、そうした「余白美」「ミニマム美」。柳宗悦がいうところの「難なき状態より讃うべきものはない、静謐の美こそ最後の美」という「平常美」「普通美」。そして、何よりも、四季折々、自然の変化を美と観じる「風土一体の美意識」。ひらがなの美学を理屈っぽくいうとこのようになる。1年ほど前に、ヒット商品着眼で「こどもびいる」を取り上げたことがある。ガラナジュースにビールのような壜でこどもびいるというラベルの貼ってある”くすっと笑える”ジュース飲料である。小さな笑いをとる品のある商品であるが、こうした商品もある意味で今日におけるひらがな美学の商品化と言える。こころの機微をどうとらえるか、その美的感性が問われている。
このひらがなの美学はメガヒット商品を生み出す世界ではない。話題にのぼらないような小さなヒット商品があらゆる分野に無数に現れてくる。いつしか、時代の価値観、美学感性の底流となる。場合によっては、欧米でヒット商品となり、日本に逆輸入され話題になるだろう。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:28Comments(0)新市場創造